■心の闇を晴らした“金妻”との出会い
いっぽうの香坂さんは、ちょうどこのころから“闇の時代”を迎えることになったという。
「自分の思いが反映されていない曲でも、歌って、売らなきゃいけないことが苦しくなって……」
同世代の太川陽介が事務所内のポップス班に配属されたためか、同じくポップスを歌う香坂さんは演歌班に。
「演歌の大先生の前座で歌う機会があったのですが、私は8ビートの曲を歌うから、会場に来たおばあちゃんに『音がうるさい』って言われてしまったり。地方営業も苦手でした。デパートの屋上などで歌った後、レコードを手売りするのですが、買ってくれるのは、いつも見にきてくれる10人くらいのファンだけ。それなのに、遠巻きに見ている人に向かってスタッフが、『ほかに誰か(買ってくれる人は)いませんかー!』って懸命に大声で呼びかけるんです。もう身が縮まるような思いで、“いないから、早く帰らせてよ”って、心の中で訴えていました」
芸能の仕事を始めた子どものころからずっと、お金のことは親が管理。歌手デビューした後も、自分がいくら稼いでいるのか、知らなかったと香坂さん。
「親の教育だと思うのですが、“普通の女の子でいなくてはならない、芸能界に染まってはいけない”という思いがあって、必要以上に高い買い物もしませんでした」
何のために働いているのか、目標すら見えなくなってきたこともあるだろう。心の闇がどんどん深くなっていったころ、香坂さんは“金妻”“金花”と出合う。
「共演させていただいた篠(ひろ子)さんがすごくカッコよくて。マネージャーさんもいましたが、帰りはいつも1人で、BMWをダーッと走らせて、帰るんです。それまでは、たくさんのスタッフに囲まれた歌い手さんしか見てこなかったから、1人で行動する女優さんの姿を見て“カッコいい”って憧れました」
香坂さんも1人で行動することが多くなったという。
「当時はカーナビがないので、ロケ現場の近くまで、まずは大きな(広域)地図を見て行くんです。そこから先はスタッフ手描きの地図が頼りなのですが、いいかげんなことが多くて、遅刻しそうになることもしょっちゅう」