■楽屋では年下のアイドルたちになじめなかった
松田聖子がデビューしたのは、それから間もなくのことだった。
「カワイイ! 細い! 衣装がフリフリ! なんだこの髪形は!? って、存在に圧倒されました。聖子ちゃんは、それまでのアイドルの概念を塗り替えるほど新鮮だったんです。“ああ、この路線はアリだったのか!?”と、“若さ”を理由に歌手デビューを見送ったことを後悔しました」
そんな思いを抱きながら、ドラマの撮影などのために週4日、TBSに通っていた。
「『ザ・ベストテン』(’78~’89年・TBS系)が放送される木曜は、楽屋周辺に歌手の人が増えるのですが、ドラマのスタッフさんからは、『同じ舞台に立って、同じテレビの仕事をしているんだから、憧れの歌手がいても、絶対に騒ぐな』とくぎを刺されていました。ところがある日、トイレに入ろうとしたところで、聖子ちゃんとすれ違ったんです。思わず声をかけそうになりましたが、さすがにトイレの前で話しかけるわけにはいかないので、我慢(笑)。単にすれ違っただけですが、キラキラした、とんでもないオーラが見えました。“だからスターっていうんだな”と納得すると同時に、“私が同時期にデビューしても、聖子ちゃんのようになれるわけがない”と痛感したんです」
そんな白石さんに再び歌手デビューの話が舞い込んだのは、後に“花の”と称される、’82年だった。
「(堀)ちえみちゃんや(松本)伊代ちゃん、キョンキョンなどそうそうたるメンバーがデビューした年。私はすでに19歳になっていたので、今度は“若いアイドルが多いから、ちょっぴりお姉さんのイメージ”で売り出すことになったんです」
松任谷正隆と松任谷由実が手がけた『オリオン座のむこう』で歌手デビュー。
「楽屋は同期のアイドルと一緒のことが多かったですね。明菜ちゃんは当時から落ち着いていたけど、ちえみちゃんや伊代ちゃんはまだ16~17歳だったから、まるで学校の教室。“私の『セブンティーン』、誰が持っているの?”なんて言いながら走りまわっている輪の中になかなか入れず、歌手活動は1年でやめてしまいました」