「悪口を言われても私は気にしません」とピン子さん 画像を見る

【前編】泉ピン子 橋田壽賀子さんの葬儀騒動に怒りの反論「先生の遺志を汚すのは絶対に許さない」から続く

 

『おしん』『渡る世間は鬼ばかり』など数々の国民的ドラマに出演してきた女優、泉ピン子(74)。“元気印”の彼女も古希を超え、さらに昨年、「ママ」と慕った橋田壽賀子さんを看取ったことで、自らの人生の閉じ方について考えるように。現在は8月4日から主演を務める朗読劇『すぐ死ぬんだから』の準備に励むかたわら、自身の終活も進めている。

 

「うちの父親が’81年ごろに病いで伏せったとき、私は『おんな太閤記』(NHK)に出ていて、収録後は付き添いで洋服を着たまま隣で寝てました。そのまま亡くなって、父は龍造というから、棺桶も特注で竜の彫り物の装飾付きにしたんだけど、火葬場に行くときには布をかけちゃうじゃない(笑)。このときも脚本を担当していた橋田先生に、その話をしたら、『そうね、棺桶も安いものでいいわよね。いずれ私もそうするわ』当時から言ってましたよね」

 

1947年(昭和22年)9月11日、東京・銀座の生まれ。本名、武本小夜。両親とも浪曲師だったが、2歳で実母と死別。その後、継母に育てられるが、「早く家を出たい」との思いもあって、18歳で歌謡漫談家としてデビュー。

 

転機は’75年、『テレビ三面記事ウィークエンダー』(日本テレビ系)への出演で、人気は全国区に。同時に女優業も始めると、’83年からの『おしん』の母親役で大ブレーク。さらに’90年にスタートした『渡る世間は鬼ばかり』では、12ページもの長台詞で知られる橋田脚本を見事に演じ切り、演技派としての地位を確立した。

 

「泉ピン子の芸名は、大好きだった父が付けてくれた。ピンからキリまでのピンで、それまでこの芸名で売れた人がいなかったようで、「ジンクスを破れ」との親心が込められていたようね。

 

41歳で、4歳年下の医師の武本憲重さんと電撃結婚したときは、「逆玉婚」として話題に。すでに売れっ子女優だったピン子に対して、夫は「初任給18万円」と、新妻となった彼女自身が明かしたからだ。

 

しかし、結婚から5年目に発覚した夫の「隠し子」騒動では、「許します。私に子供ができればよかったんですが」との号泣会見で、これまでのタフな女のイメージを覆し、日本中を驚かせた。

 

「あの会見も、全部、橋田先生の演出。だって、『あなたが夫を捨てれば、その後の女優人生でも、“夫を奪われた女”のイメージがつきまとう』そう言われてしゃべっているうちに、女優だから気持ちも入って自然に号泣になったんだけど、フタを開ければ、わざとらしいと、大バッシングされたわよ(笑)。

 

その後、50歳で禁酒禁煙をしたのは、犬を飼い始めて、当時は窓が開かないリビングだったから、犬が肺炎やがんになっちゃかわいそうと思って。たばこと一緒にお酒もやめました。だから、あのときの禁酒禁煙はまだ終活の準備じゃなかったの。

 

ただ自分は飲まないけど、今もうちのワインセラーには、来客用に1本10万円ほどのワインが40本もある。すべては飲み尽くせないだろうから、これも終活で売るしかないと思うけど、ねえ、ワインってどうやって売るの?」

 

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