シンガーソングライター藤井風“聖地”里庄町取材で分かった飾らない人柄
画像を見る 役場の藤井風コーナーでの企画商工課主事・樋之津さん(写真:田山達之)

 

■昼休みに流行っている曲のリクエストがあれば、その場で弾き語りをしてくれた

 

「ひと言でいえば“変な人”。あっ、ユニークなキャラという意味ですよ(笑)。小学校時代は、音楽というより、おもしろい男子のイメージ。架空のお笑い芸人になりきって、オリジナルのネタで教室中を笑わせていました」

共に公立小・中学校へ通ったという同級生は語る。

 

’97年6月14日、里庄町で喫茶店「ミッチャム」を営む両親のもとに生まれた藤井風。4人きょうだいの末っ子で、兄でミュージシャンの空とは13歳も年が離れていた。

 

《わしのずーっと近くにおったのがお父さんだったんで。子育てはほぼお父さんみたいな感じだったんですね》(『MUSICA』’22年5月号より。以下《 》内同)

 

3歳でピアノを始め、小4でオリジナル曲を書き始めたのも、ミュージシャン志望の父親の影響だった。12歳のとき、やはり父親の「これからはYouTubeの時代だ」という勧めもあり、実家の喫茶店のピアノで弾き語りなどをして、カバー曲の配信を始めた。

 

中学では、一時、バスケット部に在籍したが、やがて再び音楽中心の生活に。前出の同級生は、早くも小学校高学年のころには、「ピアノの上手な風くん」のキャラができあがっていたと話す。

 

「卒業式などのピアノ伴奏は自然に風くんの役目だったし、昼休みに当時流行っていた『青山テルマが聴きたい』とリクエストすれば、その場で弾き語りしてくれました。絶対音感があるから、どんな曲も即興で再現できたんですね。

 

あと、教室でサインの練習も熱心にしていて(笑)。今、書いているサインは、当時からほとんど変わっていないんじゃないかな」

 

中学卒業後、地元では難関校とされる岡山県立岡山城東高校(岡山市中区)の音楽専門コースへ。音楽漬けだったという高校生活を経て、就職や大学進学はせずに、自分なりに将来、音楽で生きていく道を模索する日々が始まる。

 

具体的には、曲作りをしながらの、地元の夏祭りや高齢者施設などでのコンサート活動だった。

 

【後編】シンガー藤井風のデビュー前秘話 町のコンサートでおばあちゃんたちを熱狂させてへ続く

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