「寂しいけれど後悔はないんです」坂本冬美明かす母との別れ
画像を見る 母・優子さんの携帯電話で撮影された母娘ツーショット

 

■鎧もなく、自分を誇れる歌手人生を送りたい

 

優子さんは、かつて娘にこう話していたという。

 

〈冬美が歌手になったからって、田舎には田舎の生活があるから、私は今までどおり何も変わらない。たまたま娘が歌い手になっただけ〉

 

そんな坂本さんの最愛の母、優子さんは今年の6月25日に旅立った。坂本さんは先月、地元の和歌山で初盆を迎えて見送ってきたばかりだという。

 

「母は、父から熱烈なラブコールを受けて結婚し、20代で3児の母になりました。子育てに必死だったんでしょう。子どものころの母は、怖い存在でした。肝の据わった人で、母が浮かれている姿は一度も見たことがありません」

 

歌手活動も誰よりも応援してくれた母と、最後はじっくりと親子の時間を持てたと話す。

 

「数年前から手術や入院と最後まで病院でしたが、亡くなる3日前、3時間ほど一緒に過ごせたんです。コロナ禍もあって、長い時間の面会は難しい時期でした。それでも、母が苦しんでいたときに同じ病室で寄り添えて本当によかったと思います」

 

連絡を受けて駆け付けた坂本さん。一時は危篤状態に陥った優子さんは、病室で娘と再会すると、次第に苦しまなくなったという。

 

しかし、別れの時はやってきた。

 

「その後、容体は2日くらいは少し回復したのですが、3日後に亡くなりました。母には娘として精いっぱいやれたので、寂しいけれど、父のときのような後悔はありません。父と母では亡くなり方も全然違いますから」

 

母を見送った今、今後の歌手人生に新たな目標もできた。

 

「これまでは、私は『母を喜ばせたい』の気持ちが強かったんです。でも母も亡くなった今、鎧もなく素の自分で、純粋に自分の好きな歌、芸の道を歩んでいこうと思います。ファンの皆さまのためという前提はありつつ、自分を誇れる歌手人生を送りたいな~と思ってます。母も『それでこそ私の娘』と思ってくれるはず」

 

そんな節目の今年、坂本さんは初の著書『坂本冬美のモゴモゴモゴ』(光文社刊)を出版。デビュー曲『あばれ太鼓』から桑田佳祐が楽曲提供した『ブッダのように私は死んだ』(’20年)など57曲にまつわる秘話を綴った。

 

「お父ちゃんは、心配そうな目でずっと見守ってくれていると思うし、お母ちゃんはきっと天国でお父ちゃんと再会できて、喜んでいますね」

 

坂本さんはそう、晴れやかに笑った。

【関連画像】

関連カテゴリー:
関連タグ: