「血液のがんと診断され、抗がん剤治療を目指しているとき、免疫力が弱まったせいで敗血症に……。39度、40度の熱が2~3週間続くとさすがにキツくて“もうだめか”とあきらめた瞬間もありました」
こう振り返るのは、俳優の佐野史郎(67)だ。多発性骨髄腫の治療から生還し、再び演じることの喜びを感じる日々に至るまでを本誌に語ったーー。
「昨年4月、熊本県の映画祭に出席したときに少しだけ悪寒がして“新型コロナだったら嫌だな”って思って、早めに寝たんですね。翌朝は平熱だったのであまり気にすることもなかったんですが、帰京後、39度の熱が出たんです」
クリニックのPCR検査では陰性だったが、血液検査での白血球数値が異常で「大学病院を紹介するので入院の準備をしてください」と言われた。
「“1週間くらい入院しないといけないのかな”ってカミさん(石川真希・62)にも話して病院に向かったんです」
ところが、予想していたよりもずっと重い病気だった。
「僕が高校生だった70年代、TBSの『白い影』というドラマで、田宮二郎さんが演じる主人公が多発性骨髄腫で亡くなる物語だったので、病名は知っていたんです」
LINEで《驚かせて悪いけど、多発性骨髄腫だった》と妻に報告すると、《気がつかなくてごめんなさい》という返事が返ってきた。
「短いやりとりでしたが、お互い俳優という表現の仕事に関わっているので、僕には“この難局を乗り越えるためにも、冷静で、きちんと支え合える家族を演じ通しましょう”という決意にも受け止められたんです」
と、俳優らしい気持ちの切り替えをしたのだった。だからこそ、死の恐怖や不安に襲われることはなかったのだろう。
「俳優は与えられた役、シチュエーションを生きるのが仕事。患者に徹して、投薬など患者としてやるべきことをやっていると、余計なことを考える暇がないくらい忙しかった」