■歯に衣着せぬ言動が受け入れられ数々のバラエティ番組に出演
モデル業も順調で、17歳から『プチセブン』(小学館)の専属モデルに。
「専属モデルのわりには、バレエのコンクールと撮影日が重なるとバレエを優先させていたので、使いづらいモデルだったはず」
年齢を重ねるごとに、大きなCMのオーディションに合格しても、バレエのためにキャンセルするケースが増えてきた。
「私がやるはずだったCMが流れているのを見て、悔しい思いをしたことも。それで、19歳のころからバレエをフェードアウト、芸能の仕事に集中するようになったんです」
独特の歯に衣着せぬ言動が受け入れられ『笑っていいとも!』(’82~’14年・フジテレビ系)など数々のバラエティ番組に出演。
「ちょうどテレビに出始めたころ、『ねるとん紅鯨団』の芸能人大会に出演しました。よゐこのお2人が『お願いします』『ちょっと待った!』と言ってくれたのですが、私は1人を選ぶという感覚がなくて『どっちとも~!』と言ってしまって……。それから“ぶっとんだ奴”と思われるようになったみたい(笑)」
『オールナイトフジ・リターンズ』(’94年)、『なるほど!ザ・ワールド』(’81~’96年、ともにフジテレビ系)など人気番組の出演を通して芸能界の友人に恵まれると、いつしか木梨憲武とプライベートでも遊ぶ関係に。
「コンちゃん(バブルガム・ブラザーズのBro.KORN)ファミリーの憲ちゃん、ヒロミ兄、定ちゃん(定岡正二)とかとは、週5回くらい、仕事が終わってから集まっていました。当時のテレビ業界はまだまだ元気で、毎晩のように青山や西麻布、六本木に繰り出して、クラブに行った後、焼き肉食べたり……。貴さんにも食事に連れていってもらったことはありましたが、私がいつも憲ちゃんと一緒だったから、誘いにくいところがあったのかも」
連日深夜まで遊んでいたが、木梨夫妻に子どもができてからは「面倒みないといけないから、帰んなきゃ」と中座することもあったという。
「あるとき憲ちゃんに電話すると、(安田)成美さんが出て『今、子どもをお風呂に入れているの』と教えてくれて。仕事が忙しくても、ちゃんとパパをやっていることがすごく素敵で、まさに“大人の見本”でした」
こうした交流があり『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』の人気コーナー・木梨憲武バレエ団や、高校生時代から好きだった『みなさんのおかげです。』の食わず嫌い王決定戦などにも呼ばれた。
「足の靱帯を痛めてつけていたギプスが取れるタイミングで、オークション番組の『とんねるずのハンマープライス』(’95~’98年・フジテレビ系)からオファーがあったんです。何を出品するのかと思っていたら、何週間も足につけていたギプスを出せっていうの! とんねるずの番組の収録はいつも楽しいのですが、あんなことはもう勘弁してほしいですね(笑)」
【PROFILE】
神田うの
’75年、東京生まれ。14歳のころからモデルを始め、『笑っていいとも!』をはじめとする多くのバラエティ番組で活躍する一方、ストッキングや下着、ウエディングドレスなど自身のブランドを数多く立ち上げ、ファッションデザイナーやプロデューサーとしても成功を収める