タレントで服や小物のデザインも手掛ける神田うの 画像を見る

住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代に話題だったバラエティ番組の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。

 

「幼いときはバレエ漬けの毎日。テレビを見る時間がなく、アイドル時代のキョンキョンさんは知らなかったんです。だから、実際にお会いしたときも『とんねるずのみなさんのおかげです。』(’88~’97年、フジテレビ系)で見た、全身黒タイツ姿の“モジモジくん”の印象が強くて(笑)。とんねるずの番組の影響って、本当にすごいですよね」

 

そう話してくれたのは、タレントで服や小物のデザインも手掛ける神田うのさん(47)。

 

4歳までインドネシアのジャカルタで過ごし、帰国後にクラシックバレエに出合ったという。

 

「母によると、バレエを一緒に見に行って『私も踊りたい』と言ったことから習い始めたそう。私は誕生日が3月28日で、4月生まれの同級生とはほぼ1年遅い生まれ。お勉強もできないし、身長も頭ひとつ分低いから、“人より劣っている”と感じていましたが、バレエだけは唯一、自信が持てるものでした」

 

一方、バレエで磨かれた体形は人目を引き、モデル事務所からスカウトされることも多かった。

 

「’89年、14歳のときにモデル事務所へ所属。母は芸能界に入ることに反対していたので“バレエを優先する”ことが条件でした」

 

放課後の時間はバレエとモデルの仕事で占められ、中学・高校時代は友人とともに過ごす時間が限られていた。

 

「それにしゃべりだしたら止まらないタイプ(笑)。クラスメートからも『うの、しゃべらないで。もうちょっとおとなしくしようね』と諭されることも。何か言っても『まあ、うのだから』と許されるところがあったのは、浮いた存在だったからだと思います」

 

そんなうのさんが、友人と盛り上がれる数少ない共通の話題が、とんねるずだった。

 

「『ねるとん紅鯨団』(’87~’94年、フジテレビ系)や『みなさんのおかげです。』は学校で必ず話題になるので、絶対に見なきゃいけない番組。観月ありさちゃんや宮沢りえさんのような売れっ子のアイドルが出演していたし、“モジモジくん”や“仮面ノリダー”もすごく面白くて! 芸能の仕事をするようになってダウンタウンさんとご一緒させていただいたこともありましたが、’90年代、中・高校生だった私にとって、お笑いといえばとんねるずでした」

 

こうした共通の話題があったからこそ「ちょっと変わったコ」だったうのさんも、クラスに溶け込むことができた。

 

「たまの休みや、空いた時間には、はやっていたカラオケボックスに友達と一緒に行きました。松田聖子さんはアイドル時代よりも、海外進出した後の『きっと、また逢える…』(’92年)が私たちの世代。ほかにも、プリンセスプリンセスやドリカム、摩季姉(大黒摩季)のヒット曲を歌ったりしていましたね。でも、基本的に私は歌うよりも踊るほうが好きだったので、友達が歌っている横でタンバリン片手に盛り上げる役でした」

 

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