小沢真珠 おしゃれよりドロドロ!『牡丹と薔薇』の原点は中学のときに見た吉田栄作ドラマ
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■ZARDは優しい言葉で勇気づけてくれる存在

 

ドラマに歌にアイドルに、キラキラした世界を見せてくれた芸能界への憧れは、高校に進学したころから強くなっていった。

 

「最初に芸能事務所からスカウトされたのは、小学生のとき。でも、芸能界なんて別世界で現実味がなかったし、なにより父が反対していたから、考えたこともありませんでした」

 

中学生時代も、友人たちと原宿にクレープを食べに行ったりすると、やはり芸能事務所にスカウトされたが、そのたびに「親に反対されるので」と全て断っていた。

 

「とくに中学時代はバスケットボール部に所属して、練習に明け暮れていました。でも高校に進学すると、その反動からか、部活にも入らず、おしゃれや遊びに興味が。遊ぶ場所も原宿から、109のある渋谷に変わりました」

 

’93年、高校2年生の春に、渋谷のスクランブル交差点付近で芸能事務所から声をかけられた。

 

「何度かスカウトの方に声をかけていただいたことで“もしかしたら、私にもできるのかもしれない”と思うように。そのときも父は反対しましたが、芸能事務所に入ったからといってすぐに忙しくなるとは思わなかったようで“とりあえずやらせてみよう”と」

 

ところが、それからわずか数カ月後、ドラマ『神様の罪滅ぼし』(’93年、TBS系)でドラマデビューを果たす。

 

「デビューした直後、よく聴いていたのがZARDの『揺れる想い』(’93年)。まだ高校生で、だんだんと恋愛に興味を持ち始めたころ。誰かを好きになっても、恋愛経験があるわけじゃないので、どうやってその気持ちと向き合ったりすればいいのかわからない。さらに、キラキラした芸能界で本当にやっていけるか、不安も感じていました。『揺れる想い』は、そのときの私が持っていた恋愛と仕事両方の揺れ動く心情に、ぴったり寄り添ってくれました」

 

同曲は、一色紗英が出演していたポカリスエットのCMソングでもあった。

 

「たまたまですが、一色紗英ちゃんとは同じ事務所に所属。私とZARDとの縁を無理やり結びつけたりしていました」

 

デビュー直後から次々と仕事が入ったが、苦しみもあった。

 

「演技の経験がまったくなく、現場に行くごとに、自分が劣っていることを痛感させられる毎日。そんなときでも『負けないで』を聴けば元気が出ます」

 

その後も、ZARDはアルバム『OH MY LOVE』(’94年)、『forever you』(’95年)などミリオンヒットを連発。

 

「メディアに出ることがほとんどなかったので、私にとってのZARDは“姿かたちを超越した何か”。未知の世界に飛び込んだ高校生の私を、優しい言葉で勇気づけてくれる存在だったんです」

 

【PROFILE】

小沢真珠

’77年、東京都生まれ。’93年にデビューし、多くのドラマ、映画に出演する。’04年、『牡丹と薔薇』での鬼気迫るイジメシーンが話題となり、バラエティ番組への出演も増える。’14年に結婚、現在は8歳、6歳の娘の子育てをしながら、女優・タレントとしても活躍している

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