■歌手人生を変えた「Lemon」との出会い
同じ業界で切磋琢磨する仲間たちも決して楽ではないようだ。
「ポップスの世界と同じように、演歌界でも毎年若い歌手がデビューしています。みんな歌が上手いし、キャラもいい。でも、表舞台が用意されていません。それに新型コロナの影響でコンサートもできなくなり、みんな苦境に立たされました。
僕も緊急事態宣言が初めて出た時、コンサートや地方営業がどんどん中止や延期になって。スケジュール帳が真っ白になって、まるで新しい手帳みたいになっていました。でも鉄道番組に呼んでもらったりして、なんとか歌以外の部分でカバーできました。しばらく鉄道番組が続いたんで、『あれ、自分の本業は何やったかな?』って思いましたけどね(笑)」
徳永自ら売り込みをすることも。
「番組でご一緒したスタッフさんに『歌番組に出させてくださいよ!』ってお願いすることもあります。今一番したいのは、若手の演歌歌手が中心になってできる歌番組。みんなで楽しくトークしたり、自分の歌を披露したり。ちょっとずつそういう機会が増えるだけでも、環境は変わってくると思うんですよね」
そんな徳永にとって、ターニングポイントとなったのは’18年9月の『演歌の乱』(TBS系)で披露した米津玄師(31)の「Lemon」。このカバーで「歌手人生が変わった」という。
「ポップスにもいい曲がたくさんあるとわかってはいるのですが、いざ自分が歌うってなると、全然体に入ってこなくて。譜割りやキーの高さ、テンポの速さが難しい。転調もあるし、一曲で二曲を覚えている感覚。いまだに苦手意識があります。
でも、『Lemon』を歌ってから『徳永さんのポップスをもっと聴いてみたい』という声が多くなりました。そこで、ポップスを中心にしたライブを開催したり。色んなジャンルの曲を聞く機会も増えましたし、まさに視界が開けたという感じです」
マルチな活動ゆえに、冗談交じりに両親から「お前芸人みたいになっとるぞ」と言われることもあるという徳永。だが、両親や祖父の影響で子供の頃から演歌に魅了され続けてきた徳永の“軸足”は常に演歌にある。
「今でも基本的には演歌か昭和歌謡しか聴かないんです。演歌の魅力といえば、やっぱり“こぶし”。他にも“がなり”とか“しゃくり”とか様々な技法があります。それに演歌と一口に言っても大人の恋愛を歌ったり、旅を歌ういわゆる股旅演歌や望郷の歌など様々なジャンルがあります。着物を着て、手をしなやかに動かしながら歌う演歌はやっぱり日本独自の文化ですよね」