■「女も自分と子供の身を守る経済力を」という母の教えを娘にも
愛さんが、8歳年上の照明スタッフの原田進平さんと結婚したのは27歳のとき。結婚に当たっては、心に決めていたことがあった。
「俳優同士の結婚は、無理だと思っていました。私は結婚しても、母のような、人生のすべてを芝居にかける生き方はしないつもりだったからです。仕事も家族の生活も大事にしたいと思いました。そうなると、子育てが始まったとしても、スタッフがパートナーだったら、忙しい時期も、うまい具合にズレますからね」
30歳で長男を、さらに5年後、明子さんを出産。この長男の妊娠時に、愛さんは都内から千葉県我孫子市へ転居していた。
「相変わらず女優業中心の母には頼れませんでしたから、身近に子育てを助けてくれる人が必要と思ったとき、我孫子に長くお手伝いさんだった人や親戚がいたんです」
朝は5時に起きて家族の朝食の準備。子供たちの前ではけっして台本を開かず、保育園では役員まで引き受けた。
「父母会で『誰か役員を引き受ける人はいませんか?』となったときの、あの静まり返った“間”が役者として耐えられなかった(笑)。気づいたら『私やります』と」
多忙な愛さんをサポートしなければと、保育園では親たちの結束がより強まったとか。
「相変わらず地方公演も、飛行機に乗ることも多かった。子供たちには『もしお母さんたちに旅先で万一のことがあっても、メソメソするんじゃなく、自立できる道を選びなさい』と話していました。私自身、母から『これからの時代は、女も自分と子供の身を守る経済力を身につけなさい』と言われて育ちましたから」
母親業もこなしながら、1978年には文化庁芸術祭優秀賞、1982年には紀伊國屋演劇賞個人賞を受賞し、舞台女優としての地位を確立していく。
一方、同じころ、光枝さんも朝ドラ『マー姉ちゃん』でのいじわるばあさん役で注目され、母子は2世代女優として名を売ることになる。