■「思い出話をしながら、お酒を飲みましょう」エッセイスト・嵐山光三郎さん(81)
編集者・作家・エッセイストと、多彩な活動で知られる嵐山光三郎さん。寂聴さんとの交流は、作家と担当編集者という関係からスタートした。
「僕は37歳で月刊『太陽』の編集長になったのですが、就任から5カ月ほど後に、瀬戸内さんの西国三十三カ所巡礼を誌面で特集することにしたのです。
広島県・山野で撮影するため京都駅で瀬戸内さんと待ち合わせをしたら、脚絆・甲掛・草鞋という巡礼姿で、杖や菅笠も持っていましたから、目立って目立って。
大作家ですからグリーン車にと思っていましたが、瀬戸内さんは『30分ぐらいでしょ。立っていきましょうよ』と、新幹線のドアの前で、ずっと立っていたのです。その姿を見た人たちが、みんな瀬戸内さんを拝む。『これが巡礼というものよ。私は生き仏だから、みんな拝むのよ』そう自慢していました(笑)」
ちなみに、その寂聴さん特集号は、即日売り切れたという。
「小説以外の瀬戸内さんの功績といえば、岩手県・天台寺を立て直したことでしょうね。荒れ果ててしまったお寺を、原稿料をつぎ込んで復興したのですから、偉いですよ。私も同行して天台寺の法話を聴きましたが、本当にお上手で。
『大勢の人に話すときは、1分に1度は笑いをとらなきゃダメです。吉本興業のタレント並みの技術がいります』と、おっしゃっていました。偉ぶった話ではなくて、生きること・死ぬことを楽しく話すところが素晴らしかったです。瀬戸内さんの『言葉のお薬』で、自殺をやめた人もいるんです」
寂聴さんが救ったのは、法話を聴きに来た人々ばかりではない。
「当時、僕も出演していた『笑っていいとも!増刊号』に、瀬戸内さんが来てくれることになったのです。ところが前日になって『(東京には)行かない』と。
大麻事件の後、ショーケン(萩原健一さん)が京都・寂庵に逃げ込んだことがありました。何の付き合いもなかった彼を瀬戸内さんが匿ったのです。ショーケン自身が自分の居場所をメディアに知らせてしまったそうで、報道陣が寂庵に集まってしまって……。
中を撮影しようとしたテレビクルーを、瀬戸内さんはホースで水をかけて追い払った。そのなかにフジテレビのクルーもいたそうで、瀬戸内さんが『そんなテレビ局の番組には断じて出ない』と」
ディレクターに頼まれた嵐山さんは、東京に来て番組に出演してもらうために、寂聴さんに電話することになったのだという。
「瀬戸内さんは出家した理由について、いろいろ小説に書いていましたが、80歳のときに突然、『あれは更年期障害のせいだった』って。あれだけ自分のことをざっくばらんに話して、それでもあっけらかんとしている。そういう人は、最近はいなくなりました。
瀬戸内さんとは、またいっしょにお酒を飲みたいです。思い出話をしながら、楽しくお酒を飲んで騒ぎたいですね」