■「草太をダウン症ではない人が演じたら、まったく別のドラマになってしまう」
「映画とドラマでは、キャストさんの数も違ったし、映画は一日の撮影で、あっという間に終わったけど、ドラマは長くて(’23年)1月から5月まで。休まず行くことができました。撮影では関西弁のセリフを覚えるのが大変でした。『かなしい』という言葉も、強く言うポイントが違うので、ノートに一言ずつ書いて練習しました」
葵は連続ドラマの撮影を、そう振り返った。
『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』は、中学生のときに父親を亡くし、母親も下半身不随で車いす生活、弟はダウン症という主人公の視点から家族についてつづった、岸田奈美さんのエッセイをもとにした連続ドラマ。葵は主人公の弟「草太」役だ。
制作統括の坂部康二さんに葵の起用理由を聞くと──。
「草太をダウン症ではない人が演じたら、まったく別のドラマになってしまう。そんな重要な存在だから、当事者に演じてもらいたかったのです。僕も含めて多くのスタッフも、ダウン症の人と接したことがないなか、最初は“お客さま”扱いでした。でも、それは僕たちが障がいについて知らなかっただけ。撮影が進み、お互いを知ることで、スタッフの彼への接し方がフランクになり、ときには様子を見ながら強い口調で指示が出たりすることも。葵さんはそれに応えてくれました」
初めてダウン症の俳優をキャストに加えるにあたり、葵専属の“サポート役”を用意した。その役を務めたのが俳優の安田龍生さん(25)だ。
「葵の魅力は素直なところ。柔軟に表現することができるんです」
そう語り始めた安田さん。サポート役といっても、これまでダウン症の人との接点は少なく、このような形でドラマに携わるのも、もちろん初めて。当初は、葵に受け入れられるよう、仲よく、楽しくということだけを心がけて撮影に臨んでいたのだが……。
「たしか撮影が始まって5日目、母親役の坂井真紀さんが倒れたところを草太(葵)が見つけて、隣の部屋にいる姉の七実(河合優実)に助けを求めるというシーンがありました。『七実ちゃん、お母さんが倒れちゃった』というだけのセリフですが、本番では『七実ちゃん』ではなく『七実』と言ってしまう。葵はカッコいい人が好きで、(共演した)錦戸亮さんも大好き。自分もそうなりたいという気持ちがあるのか、葵の中で作られた草太はとてもカッコいい草太なんです。で、『七実ちゃん』と呼べない。声もすんごい太くて、『ななみ、ななみ』という言い方をしちゃう」
当然、カット。監督から「緊迫したシーンだから」と言われてもNGを連発し、何度も何度も撮り直しをすることになった。
「最後には、カメラの後ろで僕が『七実ちゃん』とセリフを言って、葵が僕のまねをして『七実ちゃん』と言う。そんな形で乗り切りましたが、そのシーンだけで1時間以上かかってしまいました」
翌日、安田さんはプロデューサーに呼び出された。
「プロデューサーから言われたのは、『お芝居を教えてあげてほしい』『ダメなことはダメと厳しく言ってほしい』、そして『(先日の撮影が)できていなかったことを伝えてほしい』ということでした。その日からですね、一人の俳優としての葵をサポートすることになったのは。実は、それまでは葵が気持ちよく撮影に臨めればいいと思って、高価な撮影機材や小道具に触ったり、『本番!』がかかってからおしゃべりしていても注意しなかったんです。現場のスタッフにも、しょうがないという空気がありましたし……」
安田さんの仕事は、現場のルール、しきたりなど教え、葵を一俳優として育てることに変わった。
「葵はダメと言えばしなくなるんです。ただ、ほかのスタッフが許しちゃう。僕からもスタッフに『ダメなことはダメと言ってほしい』と伝えてもらいました」
スタッフの間で葵に対してどう対応していくか話し合った結果、現場は、いきなり厳しくなった。
「極端な話ですが、特別扱いをしないでくれと言うと、今度は、付き合い方がわからなくなってしまうんです」
演技については、知的障がいがあり、時間や数字が苦手な葵にさまざまな方法を試したという。
「どういう気持ちで演じればいいか、台本を見ながら一緒に話し合ってから撮影に臨みました。葵が演じる役は10~25歳と幅があり、何歳のときにどんな出来事があったかを理解させるのが大変。ノートに年表を書いて、当日、演じるのが何歳でどんな気持ちなのかを理解できるように確認していきます。そのうちに、葵は順を追って説明すれば覚えられることがわかってきました。そこで、(1)りんごを見る(2)『いただきます』と言う(3)台所を見るというように番号をふって本番直前に見せるようにしました」
安田さんのサポートを受けて、葵は俳優としてどんどん成長していった。
「葵が演技できるようになると、スタッフの要求もより厳しくなりました。本当に、普通の俳優になった。そこから、スタッフの間にも普通の俳優として接するような距離感がつかめたという感じです。僕の仕事はどんどん減っていって、最後のほうは楽でしたよ」
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