島田奈央子(旧・島田奈美)語る「明菜さんの震え」と「音楽ライター転身」《あの80年代アイドルの今》
画像を見る クレアラシルCM出演時の島田

 

■“女子ジャズ”ブームの火付け役に

 

多忙を極めたアイドル時代だったが、デビューから4年後の90年に島田は突如引退する。「イカ天」こと『三宅裕司のいかすバンド天国』が89年に始まり、”時代の変化”を感じとってのことだったという。

 

「私はやっぱり音楽が好きでしたので、作詞やレコーディング、コンサートを中心に活動していましたが、次第にこのままのスタイルで続けられるか不安になりました。当時、まだ19歳だったので、自分の心境も複雑に揺れていたと思います。ならば、一旦ここでアイドル歌手という活動を終えて、自分のやりたいような音楽の道に突き進もうと思いました」

 

引退後、音楽雑誌の編集者から「CDのレビュー記事を書いてみないか」との誘いを受けて原稿を書くようになり、行き着いたのがジャズ系の音楽ライター。2010年には、著書『Something Jazzy~女子のための新しいジャズガイド』(駒草出版)を出版し、”女子ジャズ”ブームの火付け役にもなった。

 

「子供の頃から作文を書くのが好きでした。締め切りがあるのは好きではありませんが(笑)、文章を書いていると、なんとなく楽しくなってきて、心が落ち着きます」

 

現在は、音楽雑誌などでの執筆に加え、ジャズのWEBラジオ番組のパーソナリティも務める。イベントなどでDJとして活動するほか、音楽プロデューサーとして自らイベントも開催。2022年には自身でプロデュースしたアルバム『Something Jazzy~メロディ・イン・ザ・リビングルーム』をリリースしている。

 

今年2月からは、月額制オンラインサロン『島田奈央子オフィシャル・コミュニティ~今のワタシ・昔のワタシ~』も開設。SNSとは異なる、深みのあるコミュニケーションを取れる場を提供している。

 

「このコミュニティでは、10代の頃の“島田奈美”が経験した出来事、その後の“島田奈央子”が学んだモノ、コトを、他では見られない写真や動画、これまで語らなかったエピソードなどをエッセイで書いています。これからも芸能界での経験と、現在のライターやプロデューサーとしての活動が繋がるような、独自の活動をしていきたいと思っています」

 

最後に、中森へのメッセージを問うと――。

 

「10代の頃から憧れている明菜さんが活動されるお話は、いつでも嬉しくなり、励みになります。これから、どんな音楽を私達に届けてくださるのか、楽しみにしています。心から応援しています!」

 

震える中森の背中を間近で見た昔と今、2人の音楽への情熱はともに色褪せないようだ。

出典元:

WEB女性自身

【関連画像】

関連カテゴリー: