セレクトショップを展開しているカフェでは1日店長を務めることも(撮影:花井知之) 画像を見る

【前編】「言いなりでした」熊谷真実 連絡先を削除させられ、打ち上げも参加禁止…初めて明かした「10年の洗脳体験」より続く

 

45年前に連続テレビ小説『マー姉ちゃん』で、ヒロインを演じて人気を博した熊谷真実(64)。

 

近年も、静岡県浜松市への移住、63歳で3度目の結婚など、話題に事欠かないが、実はこれまで語っていなかった“壮絶な体験”が……。40代の10年間、ある女性に依存し、精神的に束縛される生活を送っていたというのだ。

 

50歳で自分の置かれている状況に気づき、女性と訣別することができた熊谷は――。

 

自分の人生を取り戻すために再び歩み始めると、間もなく出会いに恵まれた。通っていた書道教室で出会った18歳年下の書道家との交際が始まったのだ。

 

「結婚を前提にお付き合いしてくださいと言われた私は、じゃあすぐに結婚しませんかと(笑)」

 

真実は、書道家と半年の交際を経てのスピード婚。1年ごとにお互いの気持ちを確認しながら結婚生活を更新するという「1年更新の結婚」が話題を集めた。

 

「うまくいっているときなら新鮮な気持ちになれますよね。あのときは“結婚生活を更新しない選択肢”があるということも考えていなかったのです」

 

’20年のコロナ禍に書道家の故郷である浜松市に移住したものの、翌年の’21年に離婚。突然の離婚話だったが、いつまでもクヨクヨしないのが“熊谷真実流”だ。

 

「40代のとき、Aさんに依存していた経験から学んだのは“○○がなければ生きていけない”っていう生き方は、私の性には合わないということ。もう、自分の心を誰かに持っていかれることは嫌だっていう思いが強くあるんです」

 

前に進む彼女には、また新たな出会いがあった。

 

「いまの夫とは友人夫妻の紹介です。友人夫妻が月に一度、浜松にダブルデートをしにきたよ、と言って遊びにきてくれたんです。2人きりで会うことも避けていましたから、感謝しています」

 

だがあるとき偶然、2人で話す機会があり、お互いのことを語り合った。

 

「夫は、見た目は(ドラえもんの)のび太くんというか、鈴木福くんが大人になったような優しい風貌ですが、バイクで日本一周するなどワイルドな一面もあって、そのギャップも魅力的でした。

 

それで『うちでご飯を食べませんか?』とお誘いしたのです。『わが家へ来ることが、どういうことかわかりますよね。覚悟してきてください』と、しっかり脅迫も忘れずに(笑)。だって、男性が女性の家に来るってことはもう付き合うってことでしょ」

 

そんな経緯で3度目の結婚に至った。同時に、さまざまなことにチャレンジすることに。

 

「昨年宮古島に行ったときに撮影した水着の写真をSNSに投稿すると、その日の午前中に出版社から連絡があり、63歳にしてグラビア水着に挑戦することになりました。1カ月ほどトレーニングをして、4%も体脂肪率を下げました。苦しかったです(笑)」

 

最近のなかでもいちばんうれしかったことは、今年6月に浜松の結婚式場「エストリアル」で執り行った結婚パーティだ。

 

「3度目ですし、特に派手なことをするつもりはなかったのですけど、妹の美由紀に夫を紹介したとき、『姉は公人ですから、真実のためにお披露目をしてあげてください』と頼んでくれたのです。うれしかったな――」

 

結婚パーティの準備で最初に手をつけたのは、ウエディングドレス。

 

「レンタルでも50万円、100万円はかかりますが、別のことにお金を使いたかったので、メルカリで探しました(笑)。新品同様のすごくいいドレスが見つかって、ポイントを利用して9千円ほどで調達。お色直しの着物も、成人式の晴れ着店で探しました」

 

パーティ料理の食材は、大好きな浜松産にこだわった。彼女が浜松で結成したバンドメンバーが会場で演奏してくれることになり、友人で歌手の広瀬香美は2次会でヒット曲『ロマンスの神様』を歌ってくれた。またフラワーアーティストで活躍している志穂美悦子も流木を使ったインスタレーションを披露してくれた。

 

「今回ユニークな結婚パーティができたのはエストリアルさんのおかげ。ウエディングドレスの持ち込みも許可してくれて、収容人数を大幅に超えた結婚パーティにチャレンジしてくれました」

 

新郎新婦の入場を待つ出席者の中からは「やっぱり熟年の結婚式は、安心感があっていいわ」という声も聞こえてくる、和やかな雰囲気。会場が暗転すると、スポットライトを浴びた夫婦が、各テーブルの来賓客と笑顔で言葉を交わしながら席へ移動する。出席者たちからは幸せをかみしめているように見えたに違いないが――。

 

「入場から段取りのことも気になり、私は感激する余裕がありませんでした」

 

ところが、ふと横にいる夫を見て脱力してしまった。

 

「大号泣していたんです(笑)。“ここ、私が泣くところなのに”って思いつつ、その姿を見ているうちに段取りの心配も忘れて、私も涙が出てきました」

 

さまざまな人生の困難があったからこそ、涙の向こうに心優しい夫が見えたのだ。

 

「ずっと一生、浜松にいて、この人と生きていく覚悟ができました」

 

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