■どうしてそんなに急いで逝っちゃうのよって思う
野沢 ノンコ(小原乃梨子さん・88歳没・『ドラえもん』のび太)も続くように亡くなったよね。
野村 26年間も『ドラえもん』でご一緒した仲間。大山(のぶ代)さん(90歳没)と3人でよく旅行に行きました。大山さんは食べる店を探して、小原さんは英語ができるので交渉役。私はただついていくだけ。
野沢 ノンコは英語がペラペラだったものね。
野村 ドドコ(山本圭子さん・83歳没・『サザエさん』花沢さん)の訃報も突然。
野沢 名前に「土」が2つ並んでいるからドドコ(笑)。ちょっとつぶれた声が面白いから、私と同じように少年役が多かったよね。
野村 長い付き合いだけど、絶対に年は言わなかった。
野沢 そう(笑)。
野村 私たちも年だからね。仲間の訃報が続いて、自分の残された時間を考えると焦っちゃう。
野沢 どうしてそんなに急いで逝っちゃうのよって思う。こちらの世界も楽しいのに……。
野村 同世代の仲間は、私たちや、池田昌子さん(85・『銀河鉄道999』メーテル)、どり(加藤みどりさん・84・『サザエさん』サザエ)、清水マリさん(88・『鉄腕アトム』アトム)など、数人だものね。本当に寂しい。
――こうした第一世代が、今や若者の憧れの職業である“声優”の仕事を基礎から築き上げた。
野村 1960年代は、まだテレビ局が今のようにドラマを作る力がない時代だったから、洋画をたくさん放送してた。
野沢 私の最初の声優の仕事も洋画の吹き替え。
野村 生放送で吹き替えをしていたんでしょ?
野沢 そう。だから、少年役にも、怖くて本当の少年を使えないの。それで所属していた劇団に依頼があって、やってみたのが最初。でも、生放送の本番途中で、緊張のあまり、トイレに行くふりをしてどこかへ行っちゃう人も。すると班長さんみたいな人が肩をちょんちょんとたたいて、その人の台本のセリフ部分を指でさして“代わりにあなたがやって”と合図したりするの。
野村 ハプニング続きだったものね。洋画の吹き替えが始まったばかりで、スタッフも声優もみんなが素人。画面を見ると、口の動きとセリフがズレてズレて。
野沢 帳尻を合わすためにセリフを飛ばそうにも、話がつながらなくなるから無理やり入れ込むからね。
野村 洋画の吹き替えから始まって、徐々にアニメの仕事も増えていって。
野沢 みっちゃんとのアニメの初共演作は、日本のアニメ第1作『鉄腕アトム』(1963年)。私は少年のロボット役。
野村 私は少女のロボット役(笑)。そこから始まって、やっぱり印象に残っているのが『みつばちマーヤの冒険』。
野沢 みっちゃんがマーヤで、私は、眠たい目をしているウイリー。どういう声にしようか、本番の第一声で決めようと思っていたら、「マーヤ」が「ンマ~ヤ」というかんじに。
野村 でも、それがすごく面白くて、ウイリーは3話くらいでいなくなっちゃう予定だったのに、ずっと出ることに。じつはマーヤの声をマコさん、ウイリーの声を私と、間違ってセリフを言ったシーンがそのまま放送されてた!
野沢 まさに手探り状態だったから。
野村 洋画やアニメ作品の数が増えてきたけど、声優ができる人は限られているから、現場を移動しても顔見知りばかりで仲よかったね。『ドライブの会』とか、いろんなグループがあって、みんなでスキーに行ったり、海に行ったりしたのも思い出。俳優の仕事と違って、声優は衣装とメークの必要もないからギャラが3割安かった時期もあるけど、仕事の数が多くて貧乏の経験、お互いなかったんじゃない。
野沢 1日4本、仕事が入ることも。最後の録音現場に行ったら、すぐに台本を見て賢ちゃん(野村さんの夫の内海賢二さん・75歳没・『魔法使いサリー』パパ)の名前を探してたの。だって家が近所で、帰りに車で送ってもらえるから(笑)。