■お風呂に入ってよと言うと、「ライオンが風呂に入るか、歯を磨くか?」と
「両親の結婚は、いまでいう格差婚で、周囲から『夫婦の実績のバランスが悪いのでは』などといった声もあったようです。
しかし母は、『この人は漫画家としていいものを持っていて、いつか必ず誰もが認める作品を描くから』と、黙っていたそうです。結婚の決め手は、『一緒にいて楽しい人だったから』と、私に話してくれたことがありました。
父は父で『俺は大器晩成だから』と言っていたそうですが、とにかく人のことは気にしない“わが道をゆくタイプ”というのは、生涯を通じてそうでした」
新婚時代の松本さんは、当時の主流だった少女漫画を描きながらも、なかなか芽を出せずに苦闘していた。
大泉学園にマイホームを建てたのが、結婚の翌年。以降、その2階が2人の共通の仕事場となる。
「手前に松本、奥に牧の机があって、その真ん中にアシスタントさんたちの机が5台とコピー機が。もうギュウギュウという感じでしたね」(摩紀子さん)
やがて青少年向けの週刊漫画誌の隆盛とともに少年漫画を描くようになった松本さんは、’71年から『少年マガジン』に連載された『男おいどん』で初ヒットを飛ばす。
四畳半の下宿で金にも女性にも無縁ながら夢見る生活を送る主人公の大山昇太(のぼった)は、どこか松本さん本人を思わせるキャラクター。そういえば、この主人公同様に松本さんには「風呂嫌い」というファンの間の伝説もあるが……。
「それは本当ですが、どこまで話していいものか。あまりに世間の常識とはかけ離れていたので……まあ、母に相談したら『いいんじゃない』とのことでしたし(笑)。
年に一度、大みそかとか元日に入るのは毎年恒例でしたが、次はいつかというと、半年後ということもありました。父が『今日は風呂入るぞ』と言うと、もう大騒動。その日は父の入浴がメイン行事です。3時間かけて入浴し、シャンプーも1本使い切り、あとの掃除も大変で。
もちろん、ふだんから『お風呂に入ってよ』とは言います。すると『ライオンが風呂に入るか? 歯を磨くか?』なんて、父らしい返答があって、それきりでした」
松本さんからすれば、忙しくて入浴どころではなかったのかもしれない。’74年にアニメ『宇宙戦艦ヤマト』の制作に関わるとともに漫画版を連載、’77年からは『ハーロック』と『銀河鉄道999』の連載がスタートし、のちにアニメ化。松本零士ブームが巻き起こった。
いっぽうの牧さんも初代リカちゃん人形のデザインを監修したり、レディースコミックでも一世をしたりで日本漫画家協会賞優秀賞を受賞。
気がつけば徹夜作業も日常で、10人を超えるアシスタントを抱えるまでになっていた。
牧さんが、当時をふり返る。
「うちは、まるで、ちっちゃな町工場。私は漫画を描きながらみんなの食事の世話もするから、ときには寮のおばさんのようでした。
若い人たちが『おなかがすいた』と言うから、仕事の合間にスパゲティをゆでたら山のようになって。ゆでるとあんなに増えるとは思わなかったの……」
摩紀子さんも、幼いころは仕事場の床でままごと遊びをして育ったというが、こんな約束事があった。
「仕事中は両親に話しかけないということです。それに『原稿にさわっちゃダメだ』と厳しく言われていました。少しでもはしゃいでいると、昼間でも父から『マキ、早く寝ろ』って。それなのに、自分が興味のある火星や金星の話なんかになると、写真を見せながら、『よく見てみろ。昔ここに建物があった跡、生物がいた跡があるだろう』なんて、何時間も止まらないんですから」
さらに、仕事場全体を律する大きな決まり事があったという。
「夫婦とも執筆で忙しかったせいもありますが、互いに敬意を持ち、相手の作品や仕事に関しては干渉しないという暗黙の了解がありました」(牧さん)
記者が驚いたのは、ときには10人を超えるアシスタントが松本、牧両先生の仕事をしていたこと。のちに仕事を手伝うようになる摩紀子さんが証言する。
「常に、2人の原稿の作業が入り交じっていた状態でした。画風も、また締切りの優先度も違っていたはずですから。そこで一度もいざこざも起きずに仕事場がスムーズに動いていたのは、まさに奇跡だと思います。お互いの仕事には口を出さない。この確固とした両親の間のルールがよかったのでしょうね」
(取材・文:堀ノ内雅一)
【後編】松本零士さん三回忌「ブラックホールのその先の宇宙を見てみたい」愛娘に語っていた“逝去後の夢”へ続く
