長女・摩紀子さんは㈱零時社の代表取締役を務めている(撮影:五十川満) 画像を見る

【前編】松本零士さん三回忌「なんて失礼なヤツだろう」家族が明かした手塚治虫宅での“運命の出会い”より続く

 

《僕は漫画という星の海を旅しているのである》、自伝『遠く時の輪の接する処』を、そう締めくくっていた松本零士さん(享年85)。大宇宙を舞台にした数々の名作を世に送り出した作家が逝去して、すでに2年。3月13日に三回忌を迎えた。その人間味あふれるエピソードを家族が明かした――。

 

「幼いころ、母(※漫画家の牧美也子さん)は徹夜をしていても私が起きると、必ず自分で朝食の用意をしてくれました。授業参観や運動会などに来てくれたのも母でした。

 

昼と晩の食事や生活の世話をしてくれていたのが、両親は“おばさん”、私は“ばばちゃん”と呼んでいた明治生まれの女性。もともとは母の下宿で賄いをしていた方で、母が結婚するときに、『夫婦で漫画家の生活は大変だろうから、私がついていくわ』と来てくださったそうです。わが家が平和な家庭でいられたのは、ばばちゃんの存在が大きかったと思います」

 

そう語るのは松本零士さんの長女で、漫画製作スタジオ・(株)零時社代表取締役の松本摩紀子さん。妻・牧美也子さん(89)が徹夜明けで食事の支度をしていたときなど、松本さんはどうしていたのか。

 

「父ですか? 寝てます(笑)。われ関せず、です。私が小学生のころ、牧がインフルエンザにかかって。その間も松本は徹夜で仕事です。そして3日ぶりに牧が起きてきたとき、父がぽつりと、『あれ、今までどこいたの?』って。仕事に入ると、周囲のことはわからなくなるんでしょうね」

 

映画化された『銀河鉄道999』がゴダイゴの歌う主題歌とともに大ヒットしたり、当時の国鉄がコラボ乗車券を発売するなど、松本零士ブームは社会現象の様相を呈していく。

 

「『999』のヒットは私が中2のときなんですね。すると、私自身は平凡な人間なのに、“松本零士の娘の”という枕詞がついてまわって。正直、松本零士の娘でいるのは、つらかったですね。やっぱり、両親が漫画家のわが家は“ふつう”じゃないのかな、と。10代なりに自分って何者だろうと考えるようになり、目立たない生活を心がけるようになってました」

 

ふと学校に行きたくないと、松本さんに打ち明けたこともあったという。

 

「いわゆる思春期の悩みです。すると父はひと言、『どちらか、はっきりしろ!』とだけ。 つまり、行くも行かないも自分で決めろということ。とにかく父は、はっきりしないのが大嫌い。父の助言はふだんの会話が少なかっただけに、くぎを刺されるというより、私にとってはトドメを刺されるような重さでした。

 

そんな姿勢は、父の女性観にも通じるように思います。優柔不断で『どっちか選べな~い』なんて言う女性より、『あんた、なにやってるの!』とピシャリと言ってくれる女性が好みだったのでは」

 

それは、はかなげに見えて実は芯が強い、メーテルはじめ松本漫画に描かれる女性像にも通じるだろう。そして、妻の牧さんにも……。

 

「そうですね。うちの母は、はっきりした性格です。あるとき、なにかの拍子に父が、『あれは気の強い女だよ』と母のことを言いました。父にとっては、女性に対する最高のほめ言葉だったのでしょう」

 

やがて、摩紀子さんも大学を卒業して社会に出るときを迎える。いったんは映画興行関係の職に就いたが、すぐに両親の仕事場の食事の世話などを担当するようになり、いつしか、そんな生活が30年も続いていた。

 

「みんなが若いころは、夜食にトンカツを作ることもありましたね。ときにはホットプレートを2台出してきて焼きそば大会。

 

両親の定めた食事のルールが、『みんな一緒に同じ釜の飯を残さず食べる』。ところが、当の父はときどき『わしは、これは好かん!』なんて、わがままを言いだします(笑)。海の近くで育ったのに生ものが苦手だったかな。でも、常に臨戦態勢でしたから、みんなで囲む食卓が唯一ホッとできるときで大切な時間でした」

 

’20年には両親が設立した2人のための漫画製作スタジオ「零時社」の社長に就任した摩紀子さん。多忙な日々を送っていた母と娘に、松本さんとの別れは突然訪れた。

 

「父は’19年のイタリア出張中に倒れましたが、回復してペンを握っていました。本人も『俺は100歳まで生きる』と言っていて、私たちもそのつもりでいました」

 

松本さんの生前、父娘で宇宙の話をしていて、ふと尋ねたことがあったという。

 

「お父さん。もし死んだら、どこに行きたい?」

 

そんな摩紀子さんの問いに、父は、

 

「ブラックホールのその先の宇宙を見てみたい。魂になったら、どんな重力にもつぶされずに行けるはずだからな」

 

摩紀子さんは、そんな会話を思い出しながら、現在は松本さんの仕事場の整理もしている。

 

「残された大量の原稿を1枚1枚見ていくと、手描きのペンの勢いまで伝わってきて、一つのことをやり遂げようとする信念に圧倒されます。当時はほとんど会話もしてませんし、気にもしてなかったのですが、ああ、父はまさに命懸けで描いていたんだなと、整理する手が思わず止まって見入っていたり。だから、なかなか片づけが進まなくて……」

 

ふと、「原稿にさわっちゃダメだ」という父との約束を交わした幼い日を思い出したのか、摩紀子さんが泣き笑いのような表情になる。

 

「仕事場での父は、常に黙々とペンを動かしていて、私は下を向いている横顔しか見てなかった。おまけにいつも忙しくて、だから親子の時間もあまりなかったわけですが、原稿を見ているうちに父の思いにふれられた気がしたんです。残された原稿を通じて、父と会話できている私は、本当に幸せな娘だと思いました」

 

時空を超えて「星の海」にいる父から届いたメッセージは、あのころと同じ温かさで一人娘の背中を押してくれているのだ。

 

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