アトリエでのやなせさん(写真提供:やなせスタジオ) 画像を見る

現在放送中のNHK連続テレビ小説『あんぱん』。ドラマは、漫画家やなせたかしさんとその妻・暢(のぶ)さんの生涯がモデルだ。

 

激しい雷雨に「もっと鳴れ!」と叫び、屋根に穴が開いた共同トイレにも「星空がきれい」と大興奮。天真爛漫な暢さんは、穏やかなやなせさんの背中を常に押し続けてきた。

 

やなせさんの元秘書、編集者時代の愛弟子、親交のあった漫画家。複数の証言で浮かび上がる2人の愛の軌跡とは――。

 

■いきなり銀行通帳と実印が入った金庫番号を手渡し――

 

東京都新宿区にある「やなせスタジオ」の応接室の壁面には、額装されたアンパンマンの絵や掛け時計、棚には数々のキャラクターグッズが並べられ、作者のやなせたかしさんの息づかいを感じる。

 

「グッズは増えていく一方です。それだけ愛されているキャラクターですから」

 

部屋の一角の、香炉の前に置かれたやなせさんの遺影を見やるのは、やなせスタジオ代表の越尾正子さん(77)だ。やなせさんと妻の暢さんをモデルに描かれる今田美桜主演のNHK連続テレビ小説『あんぱん』に、越尾さんも期待を寄せているという。

 

「先生はこれまでもいろんなメディアでとりあげられていますが、奥さんは“社長夫人がいたらみんなが遠慮するから”と、自宅マンションの階下にある仕事場にも、滅多に顔を出さないほどでした。

 

でも大正、昭和、平成を生きてきた柳瀬暢という一人の女性の人生はとても興味深いものだと、以前からずっと思っていたんです。まさか朝ドラになるとは……」

 

越尾さんがやなせさんの秘書を勤めることになるきっかけには、暢さん特有の決断力があった。

 

「私が40代半ばで仕事を辞めたとき、ちょうどやなせスタジオでスタッフを探していて、奥さんに『だったら、うちに来ない?』って誘われたのです」

 

すると、いきなり銀行通帳や実印が保管されている金庫の番号と鍵の置き場所などを伝えられた。

 

「もともと奥さんは私のお茶の先生で、たしかに長い知り合いではありました。しかし戸惑いを隠せず、『私が悪人だったら、どうするんですか?』と聞くと、奥さんは『自分に見る目がなかったとあきらめるしかないわね』って笑っていました」

 

暢さんのきっぱりとした人物像を象徴するエピソードだ。

 

「体は小柄で華奢ですが、内面は先生の故郷・高知県で、男まさりの女性を表す“はちきん”そのものです」

 

一方、やなせさんは常に穏やかで誰にでも優しかった。やなせさんが編集長を務めた『詩とメルヘン』(サンリオ)の元スタッフで、評伝『やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく』(文藝春秋)を上梓したばかりのノンフィクション作家・梯久美子さんが語る。

 

「私がサンリオを退社してフリーランスになったとき、独身女性という理由で賃貸物件の契約更新ができず、住むところを探していたんです。

 

すると、先生は住まいとスタジオのあるマンションに、書庫として借りていた10坪ほどのワンルームを空けてくださったんです。先生自らトイレ掃除までしてくださって……」

 

やなせさんの生涯には、高知から上京するとき、会社を辞めて漫画家として独立するときなど、多くの人生の転機があった。そのたびに彼の背中を押してくれたのは、暢さんの潔さだったという。

 

“やなせたかし”の誕生の陰には、彼を生涯にわたって牽引し続けたひとりの女性がいた――。

 

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