中山美穂さん「“息子に頑張っている背中を見せたい”と必死で仕事を」共演者&育ての親が今だから語る「根性のシャイニングスター」伝説
画像を見る 昨年4月、初代ディレクター・福住朗さんと、ライブ会場の楽屋で撮影した写真「まだそばにいる気がする」(福住さん)

 

■『毎度おさわがせします』木村一八が語る「美穂とは中学校の同級生のような間柄」

 

「美穂は初めてのドラマだったから大変だったと思います。でも、根性があった。もうむちゃくちゃ、ありました。(第1話で)ラブシーンのとき、泣いてはいなかったけど、歯を食いしばって演じていた」

 

性に開放的なのどかは「おまえさ~」などと乱暴な言葉も使っていた。この役柄に、美穂さんは不満をためていたという。

 

「彼女は、そんなしゃべり方をしない人でしたからね。たとえば、『こっちがいいよね』じゃなくて『こちらがいいですか?』と丁寧な言葉遣いをする。だから、『あのセリフが嫌だった』って、いつも口をとがらせていました」(福住さん)

 

’85年1月開始のドラマは大きな話題を呼び、最終回の視聴率は26.2%(ビデオリサーチ調べ/関東地区、以下同)を記録。社会現象を巻き起こした。

 

「『毎度~』の全体取材は毎週30本で、僕と美穂は別個でさらに15本ありました。あるとき、2人で手をつないで取材陣の前に登場したんですよ。でも、カメラマンは写真を撮らなかった。当時のマスコミには、スキャンダラスに取り上げず、芸能界を盛り上げようと考える人もいた」(木村)

 

当時、美穂さんとはプライベートでも交流があったのだろうか。

 

「友人付き合いはありましたよ。あのころは携帯がなかったから、彼女の家に電話をかけていました。大体、妹の忍ちゃんが出てましたね。まだ小学校の高学年だったと思います。美穂とは中学校の同級生のような間柄でした」

 

ドラマで人気を得た15歳の少女は、念願のレコードデビューが決まる。喜びに浸る間もなく、静かに闘志を燃やした。

 

「私、頑張りますから」

 

真っすぐなまなざしで呟いた一言はデビュー当時から宣伝担当を務めた元キングレコード常務取締役・竹中善郎さんの胸に刺さった。

 

「言葉どおり、本当にひたむきで一生懸命やる。口数の少ない子だから、自分から頑張っているなんて言わないけど、伝わってくるんです。そんな彼女の姿に引かれて、スタッフも一丸になれました」

 

福住さんの机の上には、《燃焼しはじめたみほ。これからも頑張ります。みほ》という直筆のメッセージカードが置かれていた。

 

次ページ >育ての親が振り返るミポリンの凄さ「お客さんの半分は女性だった」

【関連画像】

関連カテゴリー: