■手術……しなくていいよ。僕が人工透析すればいいんだ
小錦さん夫妻は、田邉医師からていねいな説明を受けている。
とはいえ、妻の腎臓を、1つ取り出して、夫に差し上げることになるのである。
その不安は、さぞ大きかったに違いないが……。
千絵さんは、こう振り返る。
「もちろん、不安はありました。そこで、2017年にご夫婦で腎臓移植をなさった武蔵川親方ご夫妻に、直接お話をうかがったんです。
奥さまが『手術して何年もたつけれど、親方も私も、ほら、元気でしょう?』と目の前でおっしゃってくれたのが、とっても大きかった。それで、ずいぶん安心できました」
2024年8月、夫婦間腎移植手術に向けての準備が始まった。
「夫と私の腎臓が合うかどうか、マッチングテストを受け、夫婦間で移植できる見通しとなりました。
母に『私が提供すると思う』と話すと、心配しつつ『まあ、そうだよね』と賛成してくれました」
母・飯島美栄子さん(76)も理解を示し、手術は9月と決まったが、直前に大変なことが起きる。
「9月に入って、家で一緒にいたときのこと、母の左手が思うように動いていないと気がつきました。『おかしい!』と思って無理やり病院に連れていったんです」
母は脳梗塞を発症していた。
異変を察した千絵さんのとっさの判断で即入院・治療できたため、幸い左手だけのですんだ。
しかし腎移植手術は12月に延期せざるをえなかったのだ。
そのころから「母が急に、弱気になってしまった」と千絵さん。
「やっぱり心細くなったと思うんです。私の腎臓移植に反対しだしました。それは直接言われたのではなく、兄から聞かされたんです。『お母さんが心細くなっているから、移植はやめたほうがいい』と」
母は母で「複雑な思いだったのでは」と千絵さんはおもんぱかる。
「だから直接言えなかったんでしょう。兄だって、私に言うのはつらかったと思う。移植すれば生存率はすごく高いと説明されていたんですから……」
千絵さんもまた、やりきれない思いを抱えてしまった。
「肉親ゆえの、もどかしさです。『元気なときは賛成していたのに、あとになって、なんで?』って。でも私も直接は、母に言えませんでした。
左手の麻痺を抱えた母を、これ以上、不安にできなくて……」
そんな妻や義理の母、兄の葛藤が伝わってしまったのだろうか、とうとう小錦さんの口から、こんな言葉が。
「手術……しなくていいよ。僕が人工透析すればいいんだ。移植は、やらなくていいよ……」
連れ添って20年、以心伝心だったはずの夫婦に、ピーンと張り詰めた空気が支配していた──。
(取材・文:鈴木利宗)
【後編】「僕は腎臓移植アンバサダー」小錦八十吉さん・千絵さん夫婦は常に一心同体で共に歩み続けるへ続く
画像ページ >【写真あり】小錦さんのダイエットや会社経営、ライブ開催と二人三脚できた千絵さんだが腎移植手術への道のりは険しかった(他2枚)
