《知られざる結婚生活33年》柳沢慎吾「妻の誕生日には毎年、赤いバラ50輪」1週間口を聞かない夫婦ゲンカも
画像を見る サービス精神旺盛ながら、最後は「僕は本当に先輩、仲間、スタッフ、家族、妻に恵まれた。運が良かった」と真顔に(撮影:加治屋誠)

 

■ベンツを相談なく購入で愛妻と大ゲンカ「1週間、口をきいてもらえませんでした」

 

柳沢の気遣いは頭抜けている。ドラマ“翔んだシリーズ”の撮影中、ADの実家に居候していた。赤の他人にもかかわらず、彼の母親はわが子のように自分を扱ってくれたという。その恩を忘れず、40年以上も正月の電話と母の日の花束を欠かさなかった。

 

「他人の子供の面倒を見るのは大変だったと思うんですよ。ホント、お世話になりましたからね。数年前に亡くなったんですけど、最後に会えてよかったです」

 

結婚33年を迎える妻にも毎年、誕生日プレゼントを贈っている。

 

「赤いバラを50輪くらい束ねて渡しています。昔は英字新聞で包んでくれる店がありました。オシャレでしょ? 日本の新聞だとテレビ欄にTBS、日本テレビ……とか書いてあって、雰囲気が出ないんですよね」

 

ある年、生花店が英字新聞を切らしていた。

 

生花店:すみません。今日、読売新聞になっちゃいました。
柳沢:えっ…英字新聞ないの?
生花店:朝日新聞ならあります。

 

「『そういう問題じゃないだろ!』って心の中で突っ込みましたよ(笑)。奥さんはあれ欲しい、これ欲しいと言わないし、高級店での食事も望まない。だから、せめてバラを贈ろうかなって」

 

仲むつまじい夫婦生活を送っているが、大ゲンカもした。’05年、無類の車好きである柳沢は高級車であるメルセデス・ベンツの購入を電話で即決。「今買わないと、ほかのお客さんが入りますんで」とディーラーにせかされたため、妻には相談していなかった。

 

柳沢:買っちゃったよ。
妻:何を?
柳沢:純白のメルセデス。
妻:……はあ!?
柳沢:頼むよ。銀行行って、お金下ろしてくれよ。
妻:自分で行けば?

 

「途中から『ふぞろいの林檎たち』の中井貴一のような話し方になっちゃって。『相談しない自分が悪いんだ。でも、違うんだ。向こうが……向こうが焦らすんだ。だから、決めちゃったんだ。本当に申し訳ない。金輪際気をつける。中井貴一です』。そしたら、『なんで中井さんのまねしてんの?』とますます怒られましたよ。最終的には、泣く泣く行ってくれましたけどね。1週間、口きいてくれなかったですよ」

 

お金は妻が管理し、必要なときにもらうシステムだという。

 

「僕は、下ろし方がわからないんですよ。キャッシュカードを2回もなくしているし、自分で引き出せると気前よく使っちゃうんですよね。独身のころ、松方さんに憧れて、スタッフ十数人連れて、料亭で最高37万9千円ごちそうしたこともありましたからね」

 

■盟友・中島唱子が証言─「柳沢先生はすごく寛容な奥さんに支えられている」

 

家庭人としては少々“ふぞろい”な柳沢。前出の中島は、妻の度量の広さと洞察力に感心していた。

 

「携帯がなかったころ、奥さんに家の電話を取り次いでもらっていたんですよ。普通、異性から連絡が来ると、いい気持ちはしない。でも、すごく寛容な方でした」

 

柳沢と中島が2人で焼き肉を食べに行く日、妻は「しんちゃん、今日は唱子さんに会えるから、ウキウキしてるね」と声を掛け、「唱子さんのこと、大事にしたほうがいいよ」と言った。中島は続ける。

 

「奥さんは私との電話を聞いていて、素の自分をさらけ出してると感じたみたいです。すごく夫をよく見ているし、柳沢先生は奥さんに支えられているんだなと」

 

柳沢は妻への感謝を述べる。

 

「結婚って赤の他人と一緒になるから、嫌なことありますよね。でも、大目に見てくれる。出演ドラマを一緒に見ても、『よかったよ』と必ず褒めてくれる。『こうしたほうがいい』とか一切言わない。僕は本当に先輩、仲間、スタッフ、家族、妻に恵まれた。運がよかったですよ」

 

天狗になった時期もあった。仕事に疲弊したころもあった。苦難の道に差し掛かったとき、人に支えられた。その感謝を表現しながら、芸を磨き続けた。恩義と努力を忘れなければ、運が巡ってきて、チャンスをモノにできる─―。そんな「柳沢の法則」が46年に及ぶ人気の秘訣である。

 

(取材・文:岡野誠)

 

画像ページ >【写真あり】『ふぞろいの林檎たち』シリーズで中島唱子と共演。以来、40年以上にわたって親交を続けている(他4枚)

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