「昔は私たちに振付を教えてくれるダンスの先生は全員年上でした。私たちも若いので覚えも早いし、体力もあったから短時間で覚えられたんです。でも、今は先生が20代のことも。教えてくれる振付も『そんなに動く?』って感じで。昔は4~5時間のリハーサルで1日で1曲覚えられたんですが、今は3日はかかるんです」
そう笑うのは、今年、結成30周年を迎えたダンスボーカルグループMAXのリーダー、NANAさん(49)。10月13日(月・祝)には地元・沖縄で30周年の記念ライブを開催。歌って激しく踊るパフォーマンスで観客を大いにわかせた。
NANAさんの芸能活動のスタートは、沖縄アクターズスクール。1992年、スクール生から選抜された「SUPER MONKEYS」の一員として、16歳のときに上京し、メンバーと共同生活を始めた。
「当時はまだ沖縄アクターズスクールから成功者は出ていませんでした。校長先生から『スクール全員の夢があなたたちにかかってる』と。スクール生の集合写真を玄関に貼って、『行ってきます』って手を合わせてから仕事に向かっていましたね」
■3曲目のヒットがなければMAXはなくなっていたかも
1995年、NANA、MINA(47)、LINA(48)、REINA(47)の4人でMAXを結成。だが、順風満帆なデビューとはいかなかった。
「2枚目のシングルまではあまり売れず、事務所から『次が売れなかったら終わり』って言われて……。それで3枚目の『TORA TORA TORA』がヒットしたんです。これがなかったら、MAXはなくなっていたかも(笑)。
でも、早くからテレビには出させてもらっていました。当時はまだミリオンセラーが続出していた“音楽バブル”の時代です。
レギュラー出演していた『THE夜もヒッパレ』(日本テレビ系)では、スタジオ内のテレビに映ってないところにお酒を飲むバーのセットがあって。大御所の方たちはそのバーでプロデューサーさんと一杯飲んで、休憩のときにはバニーガールの格好をした方が出演者にお水や昆布茶とかを渡していました。本当に豪華でしたね(笑)」
1997年には『Give me a Shake』がオリコンチャート1位を獲得。『NHK紅白歌合戦』にも初出場し、それから5年連続で出場を果たした。音楽業界で確固たる地位を築いたMAXだが、2002年に転機が訪れる。MINAさんが妊娠と結婚を理由に脱退することが発表されたのだ。
「メンバーの妊娠・結婚というのは初めてのことでした。しかも、私たちにも事務所からの報告で、美奈子(MINA)と何も相談できずに事が進んでしまって」
脱退前の最後の仕事の『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)までの3カ月間は、互いに気まずい状況だったという。
「ミュージックステーション終わりにメンバーが一緒に車に乗って自宅まで送ってもらってたんです。でも美奈子は自宅まで行かずに、途中で降りて『じゃあね。元気でね。ありがとう』と言って別れて。そこから美奈子は連絡先も変えて音信不通に(笑)。当時はショックでしたが、美奈子も相当な覚悟だったんだと思います。
私たちも若くて、ちゃんと美奈子に『おめでとう』と言えなかった。結婚式にも、子供を見に行ったりもできてないんです。だから『あのとき、一つ一つをもっと一緒に喜びたかったな』というのを今になって思います」
