■40周年コンサートのリハーサルで倒れた母。緊急手術は成功したが「後遺症は残る」と
「コンサートやイベントの出演がパッタリとなくなり、本当に収入がなくなってしまいました。
音楽・ライブ業界に携わるすべての人に降りかかった災難でしたが、ウチも貯金が底を突き、赤字経営になってしまったんです」
今尾さんが2020年からの“コロナ禍”を、ため息まじりに振り返る。
これまで年間80公演あったのが、自粛で年20公演未満に。しかもリモート出演やオンライン公演という寂しいものになったのだ。
侑夕さんはこう述懐する。
「いまでこそ仲のいい両親ですが、当時のウチは殺伐としていました。
母は『私が稼がなかったら誰が稼ぐの?』とこぼし『今尾くんも外で働いてよ!』と父に当たって」
今尾さんが吐露する。
「あずみにそう言われると、僕も『いまのウチのシステムを作ったのはアナタでしょ?』と感情的に言い返すしかなかった。
あずみのライブとリリースを軸にした家族経営は、彼女自身が望んでいたことでしたから……」
閉塞感と焦燥のなか、2020年年末には、なんとあずみさんが夜間に外で段差を踏み外し、両足首骨折の重傷を負う。ますます家にこもりっきりで、運動不足に。
「運動量が減ったのに、食事やお酒の量は、ストレスからかむしろ増えました。高血圧の薬も飲んでいたんです」(あずみさん)
そんななか、コロナ禍も収まり、外出ムードでイベントも以前に近い頻度で開催されるようになる。
2023年5月、コロナの感染症の5類移行=完全解禁は、真夏に予定する『井上あずみ40周年コンサート』に勢いがつく朗報だった。
今尾さんが言う。
「前売りで1千100枚がはけていて、なかのZERO大ホール完売まであと100枚でした。記念すべき完全復活のはずでした」
迎えた同年8月26日。本番前のリハーサルが始まると、いつにも増してあずみさんの声が「冴え渡っていた」と話すのは侑夕さん。
「歌い始めたらメチャクチャうまかった。AメロもBメロも聴いたことないくらいに。でも、サビでなぜか、外したんですね……」
ロビーで開場準備に追われていた夫も、これを耳にしていた。
「サビで外したんで、『どうしたのかな?』と思った。リハから感情が高ぶっているのかなって」
次の瞬間、あずみさんの隣にいた侑夕さんは、母の頭が前後に、ゆらゆら揺れ出すのを見た。
「そこから聞き取れないほど声がひどくなって、泣いているような歌い方になって……幕が下りかけたとき、母が左に倒れたんです」
舞台の床に倒れ込んだあずみさんは、なおもマイクを取り直そうとした。その母の口から「頭痛い」と漏れたのを聞くと、娘は迷わず「救急車呼んで!」と叫んだ。
「母は意識を失っていくなかで、『今尾くん、ごめんね』と言い、その後は『ゆーゆ、ゆーゆ』と」
異変にかけつけた今尾さんは、
「コンサートは即中止しました。主役が倒れてしまったんですから」
侑夕さんが「ママ起きて!」と必死に呼び続けるも、あずみさんは鼾をかき始めた。危険な状態だ。
「母が倒れたのが16時30分ごろで、中止決定がその10分後。
救急車到着は16時47分で、私が同乗して東京医科大学病院に入ったのが17時15分。迅速に救命救急していただきました」
侑夕さんが、時刻を正確に記憶しているのは、自身が中学時代に自律神経失調症で倒れた経験があり、医療に関心が高かったからだ。
その後、東京医科大で「右脳の脳出血」と診断され、緊急手術に。
「21時に開頭手術が始まり、内視鏡で血種を除去していただきました。およそ3時間で手術が終了。先生からは『手術は成功しました。命に別条はありません』と」
ただし主治医は「後遺症は残ると考えたほうがいいと思います」と付け加えたのだった。
2025年11月下旬の午後。
都内の自宅を訪れると、彼女は理学療法士によるリハビリとトレーニングの真っ最中だった。
東京医科大からリハビリ病院に転院し、帰宅したのは2024年2月。約半年ぶりのわが家だった。
そこから長い経過観察となり、脳機能と体力を回復させるための日々が始まったのだ。
「あずみには短期記憶の低下が見られ、直近で起きたことの記憶を保持するのが難しい状態です。
早い話が、前に話したのと同じことを、何度も言ってしまうことがあるんです」(今尾さん)
そして右脳のダメージによって左側の情報認識に支障が出る「左半側空間無視」の症状も出ていた。
「左側にある活字を目で追うのが難しい状態です。もともとあずみはステージでのセリフ回しが得意でしたが、倒れてからは本を読むのさえ棒読みになってしまって」
今尾さんは、活字を読む訓練をさせようとしたが、なかなかうまくいかなかったため、発声トレーニング主体に切り替えたという。
「歌が歌えるようになれば、ほかの脳機能も回復していくんじゃないかと思いました。あずみの強みの歌唱力が戻れば、本人が生きる支えになるはずだと」
左手のリハビリも、本人、家族ともに「根気のいる作業」だった。
「手は神経が通わないと丸まって固まってしまいます。伸ばさないとどんどん動かなくなってしまうので、ゆっくりほぐして、伸ばすリハビリをしました」
そのマッサージもストレッチも、今尾さんがつきっきりで施した。
「肩関節も、脇の下の筋肉もほぐします。最近は、寝転がって右手を添えて左手を上げる練習をしていて、真上まで左腕が上がるようになってきたんですよ」
かいがいしくリハビリや身の回りの世話をしてきたことで、
「退院直後に比べて動かせる領域が20%もアップしました!」
今尾さんの声が弾む。
そして、いよいよ歩行訓練だ。まず右手で赤い杖を握り、ベッドから起き上がるところから。
次に右足を一歩、前に踏み出すと、今度はまひが残る左足だ。
装具で左足をサポートしてはいるものの、左半身に力が入らないため、どうにも踏み出せない。
理学療法士が補助していても、不安なのだろう。あずみさんは唇をすぼめ、顔をしかめている。
それでも、先に出した右足に追いつくように、左半身もゆっくり、わずかだが一歩ずつ、前に進んでいるではないか。
「歩いてる、歩いてる!」
侑夕さんが瞳を輝かせて激励。
今尾さんは、妻がつまずかないように、進行方向のチェアなどをどかして露払い。
歩行訓練後のストレッチを終えたあずみさんが、しみじみ語る。
「今尾くんには、感謝しかありません。こういう状態になって、特にそう思うようになりました。
これまでの人生は運のよさだけで生きてきたようなものでしたが、今尾くんのおかげで人に感謝することを覚えたんです」
侑夕さんが話したように、3年前まで夫婦は「殺伐としていた」。
それが妻の脳出血というアクシデントによって、お互いを慈しみ、感謝する気持ちが芽生えた。
夫婦の絆は、一大事を乗り越えることで固くなったのだ。
クリスマスを控えた昨年12月8日、あずみさんは家族とともに、東京都庁大会議場の控室にいた。
障害者の自立支援イベント「第45回ふれあいフェスティバル」のステージに、母娘で出演するのだ。
この日、彼女の出番前の「トークショー」に出演したのは、旧知のタレントで“ひろみちお兄さん”こと佐藤弘道さん(57)だ。
じつは2024年に脊髄梗塞を発症し、いまもまひが残るものの、ハードなリハビリで歩けるまでに回復。
その佐藤さんから「とにかく頑張り続けることが大事。歌い続けるのが、いちばんのリハビリですよ!」とあずみさんは助言された。
ややあって、今尾さんがすこし遠くを見るようにしてつぶやく。
「立って歌えたら……乾杯だね」
あずみさんは表情を引き締め、自分に言い聞かせるように、
「私自身、大した人間とは思っていませんが、何度壁にぶち当たっても、あきらめずに今日まで生き続けてきました。
だから私は“あきらめが悪い人”代表になりたい!」
車いすに乗り、スポットライトを浴びて登壇したあずみさんは、聖母マリアが描かれたおそろいのワンピースで、愛娘とともにヒット曲を次々披露して喝采を浴びた。
そして最後に胸を張った。
「私はまだ歩けませんが、この曲を歌います。一緒に歌ってください、『さんぽ』です!」
アニメのスクリーンを飛び出し、トトロが、サツキとメイが世界中に夢を与えてきたように──。
あずみさんはいま、一歩を踏み出そうと努力する。
世の中で、なにかの困難に立ち向かっている人たちと、希望の光を分かち合うために。
(取材・文:鈴木利宗)
【後編】歩こう!舞台の上を“さんぽ”しよう『となりのトトロ』の主題歌で脚光を浴びた歌手・井上あずみさん(60)へ続く
画像ページ >【写真あり】『天空の城ラピュタ』のエンディング曲『君をのせて』に続き『となりのトトロ』『さんぽ』(’88年)で全国的な認知を得たあずみさん(他5枚)
