1983年にアイドルデビューした大沢逸美(60)、桑田靖子(58)、小林千絵(62)、木元ゆうこ(59)、徳丸純子(60)、森尾由美(60)、松本明子(60)ら同期の7人。デビュー後は「不作の83年組」などという不名誉なキャッチフレーズを冠されたこともあったが、「だれか一人が大ブレイクしなかったからこそ、仲よく支え合いがんばれた」と、彼女たちは口をそろえる。
2018年には、“おかみさんの風格を持つようになりながらも、心はアイドル”のコンセプトで「お神セブン」を結成、自主企画ライブを開催した。今年は3年ぶり3度目となる自主企画ライブ「83年組アイドル アラ!?還ライブ」を、8月22日に東京・北千住のシアター1010で開催する(徳丸は海外在住のため欠席)。
今回は記念のステージを前に、大沢逸美と小林千絵の2人に、「お神セブン」結成の舞台裏と、苦労も多かったデビュー当時のエピソードを語り合ってもらった。
13年前、7人のメンバーが再会するそもそものきっかけを作ったのが大沢だった。バラエティ番組で彼女が口にした「同期に会いたい」というひと言から、「不作の83年組」と呼ばれていたアイドルたちの再生の物語は始まったのだという——。
小林千絵(以下、小林) 時間がたてばたつほど実感するんだよね。逸美が「同期に会いたい」と言ってくれなければ、お神セブンはなかったんだよなぁ、って。
大沢逸美(以下、大沢) そのことだけど……。あの、ゴメン! じつは私、番組の事前アンケートで、ほかに思いつくことがなくてそう書いたの。当時、元アイドルが出る番組も多くて、「かつての芸能界のエピソードを、恋愛事情なども含めて語ってください」とよく依頼されるんだけど、正直、あまり覚えていなくて。すべての質問に「特になし」と書いていたら、さすがにマネージャーさんが「なんでもいいから何か書いたらどうですか?」と。絞り出したのが、「同期に会いたい」でした。
小林 絞り出したんかいッ(笑)。でも、そのことをきっかけに番組に出演したのが、アッコ(松本明子)と(桑田)靖子と私で。
大沢 それで、またごはんでも食べようねとはなったんです。とはいえ、普通はそれきりですよね。
小林 まあ、芸能界特有の、いつもの社交辞令かな、とは思っていたけど。
大沢 まさに“お神”で、そこからのすべての再会が神がかっていたね。番組放送直後に(徳丸)純子から電話がかかってきて。彼女がアメリカに生活拠点を移してからは連絡も取っていなかったのに。それが、突然連絡がきて、「日本に帰ってきてるんだ」と。私も「こないだ同期のコたちと会ったんだよ。今度、ごはん食べるよ」と話していると、「今、こっちも隣に(木元)ゆうこがいるよ」って。極めつけは、その直後の(森尾)由美との何十年ぶりかのバラエティ番組での再会。ずいぶん前にドラマで共演して、それきりでしたし。
小林 同期でイベントをやろうとなって、「お神セブン」も、逸美が名付け親ですね。
大沢 ちょうどAKB48が大人気で、「神セブン」の言葉が流行っていたりして。そのまま使うのもどうかと思っていたとき、まさに千絵が、どう見ても人生経験を積んだ「おかみさん」だったんで、それもかけて「お神」と。
小林 コラ! あたし、アイドルだよ、これでも。あっ、自分で「これでも」って言っちゃった(笑)。
再会が連鎖し、ユニットを結成する彼女たちだが、デビュー当時はアイドル同士であるがゆえの距離感があったという。
小林 プライベートであまり会わなかったのは、私たちが新人アイドルのころは「互いがライバルだ」と厳しく言われていたのもあった。おかしな見栄の張り合いもあって、仕事終わりに、マネージャーさんが「うちの小林は忙しくて」と言って、いつも楽屋からそそくさと出そうとするんですよね、ぜんぜん忙しくないんだけど(笑)。
大沢 楽屋では普通にガールズトークもしてるんだけど、一歩外に出たら、マネージャーさんやレコード会社の人たちがいるなかで仲よくおしゃべりできない、という空気があって
大沢は、第7回ホリプロタレントスカウトキャラバンでグランプリを獲得して芸能界へ。デビュー曲は、同じ事務所の先輩でもある山口百恵の楽曲を手がけていた阿木燿子と宇崎竜童コンビによる「ジェームス・ディーンみたいな女の子」(オリコン62位)で、キャッチコピーは「グッドガール It’s me(イッツミー)」。170cmの長身、ボーイッシュな魅力も前面に出し、“ポスト百恵”の呼び声も。
いっぽう、小林は、第1回ヤマハ「ザ・デビュー」で1万人の応募者のなか勝ち抜いて優勝。デビュー曲は『いつも片思い』(同99位)で、キャッチコピーは「フレッシュルッキング」。“ヤマハ初のアイドル”として注目された。
大沢 デビュー直後の思い出は、マネージャーさんに「握手は片手でしなさい」と言われていたこと。
小林 どうして、片手?
大沢 男っぽく、のイメージのため。ファンの方たちから「逸美ちゃん、がんばって」と言われれば、私はつい「ありがとう」の思いを込めて、両手で握手していたんだけど、そこは「クールに片手でやるように」と。
小林 そうか、ジェームス・ディーンのように。
大沢 そうなの。写真も、半分くらいは斜に構えていたり。デビュー当時、ほかのアイドルのみんなのように水着にもなってませんし、肩を出すようなタンクトップなども着ちゃいけなかった。だから私は水泳大会ではなくて、運動会。水泳は、千絵だよね。
小林 私は芸能人水泳大会で本気で泳いで優勝したら、「なんで、おまえが“花の82年組”をおさえて勝つんだ」と叱られて(笑)。水泳大会も運動会も、私たちにとっては、デビュー前は憧れの番組だったんですが、出てみれば、いつもテレビの中のワイプでしか歌わせてもらえなかったり。
大沢 ただ、私の気質がそうなのか、あんまりプレッシャーも感じてなかった。そりゃヒットチャートも62位よりはトップテンに入りたいし、『ザ・ベストテン』にも出たい。だけど、いつかそこに行けるだろうと思っていて。それもあって、「83年組は不作だ」の声に対しては正直「ふざけるな」という思いでした。
そんななか、同じ事務所の榊原郁恵さんなど、本当に裏表なくよくしてくださったりで、不作と言われていても、意地悪する人って会ってないです。
小林 私も意地悪されたことはなかったな。ちょっとおねえちゃんだったし、不良っぽかったのもあったし(笑)。とはいえ、私、ヤマハ初のアイドルでしたから。
大沢 ヤマハといえば、当時はニューミュージックのイメージだった。
小林 アイドルは14、15、16歳でデビューするのが普通だったのが、私はオーディションを受けては落ちてを繰り返して、デビュー決まったときは19歳でした。てっきりニューミュージックでデビューするんだと思ってたら、「このコはアイドルで売り出そう」となって、エーッ!ですよ。そりゃ、最初はアイドルになりたかったけど、いまさらと思ってるうちに、なんだか大人の方たちに作り上げられちゃったんです。カメラマンさんやヘアメイクさんたちに取り囲まれて、「このコ、足太いから出さないほうがいいね」とか(笑)。でも、私にしたら、せっかくデビューが決まったんだから、この波にのっからなくちゃ、の思いで。もう19だし、それまでに、いろんな挫折体験もあったから。
大沢 言われたことをやるのに精一杯で、それがいいのか悪いのかも、正直わかっていなかったよね。
小林 『西城秀樹の妹コンテスト』でも、もともと私と河合奈保子ちゃんの2人が大阪代表でした。上京するときも、同じ新幹線で、決戦大会の行われる中野サンプラザまで一緒だったり。ほんとに決まる直前まで二人でお手々つないでトイレにも一緒に行くくらい仲よかったのに、最後、奈保子ちゃんの名前が選ばれた瞬間に、彼女にすべてのスポットライトが当たって記者もカメラマンもダーーッと駆けて行って、私から遠ざかっていく。で、私はしぶしぶ大阪に帰って、それでちょっと不良になるんですけども(笑)。
大沢 そんなこともあったんだね。まだ16歳でしょう。
小林 いきなり雲の上の存在になった奈保子ちゃんでしたけど、「今度デビュー曲決まりました」とハガキをくれたり。「私も追いかけるからね」と返してたんだけど、こっちは不作の83年組ですから(笑)。大スターになっても奈保子ちゃんは変わらずに、二人でご飯に行ったり仲よくさせてもらいました。さっきの逸美の郁恵さんのエピソードじゃないですが、売れている人は、やっぱりやさしいし余裕があるんだよね。
大沢 それは、言えてるかもしれない。
小林 ヤマハはニューミュージックのイメージの事務所でしたが、アイドルを売り出す特別なプロダクションを作って、その第1号が私で、2号がチェッカーズ。上京したての九州の男の子たちで、まだ素朴さも残っていて。私が先にアイドルデビューしたばかりで、まだ華やかな雰囲気もあって、彼らも「あっ、小林千絵ちゃんだ!」という感じでしたから、私は「みんな、これからデビューでしょう。この業界はすごくつらいこともあると思うけど、負けないで頑張ってね」「ありがとうございます!」ってやってたら、1年もせずにそのコたちが、ドッカーンと売れて(笑)。
私たち83年組は時代が味方しなかった、というのは思うよね。アイドルもうおなかいっぱいですよ、というときにデビューしちゃったから、どう頑張っても扉が開かなかった。
大沢 極めつけは、例の「金の鳩賞」。
デビュー2年目のアイドルや歌手だけを対象にした日本テレビ音楽祭のなかの「金の鳩賞」。83年組が対象となった84年度、まさかの「該当者なし」は今も芸能界の語り種となっている。
大沢 あのとき、私と靖子は一応ノミネートされてステージにも上がっていましたが、結果は……。
小林 いざ、発表となって。ドラムロールがドゥルルルルルの後、司会者の「今年は該当者なし」で、楽屋で待機していたゲストの先輩女性アイドルがズコーッとコケたって有名な話ね(笑)。
大沢 タイミングはあったかもしれませんね。よく言われるのは、その年はワインも不作だったと。
小林 ワインは私たちのせいじゃないでしょ(笑)。忘れもしないのは、私、目の前でプロフィールの資料を捨てられましたから。それまでは、テレビ出てくださいって言われても「ニューミュージック路線なのでテレビは出ません」とお断りしてたのに、突然、一転して私がアイドル1号として賞レースの前にあいさつまわりもしたんですよ。そしたら、「今までテレビなんて出ないって言ってたじゃないの」と、私の資料を目の前でゴミ箱にポンと捨てられたんです。なんだろう、いま思い出しても泣けてくるんだけど……。
大沢 泣くなよ〜。
小林 いいんです。売れてないのはしょうがないけど、ゴミ箱っていうのは、人格まで否定されたような、両親にも申し訳ないような気もして。でも、そのときに私の担当の方が、「千絵、よく憶えておけよ。こんなことは業界の常なんだからな。いつか売れたときに、『その節はお世話になりましたぁ』と返せるよう頑張れ」と言われましたね。
大沢 そこは、千絵だけでなくて、私も「ふざけんなよ」という思いがずっとありました。お神セブンの仲間たちは、「いつか見返してやろう」の気持ちがあったと思うんです。それが今に確実につながってますから、逆に「ありがとうございます」って感じですかね。さまざまな挫折を乗り越えようという思いがあったおかげで、ここまで周囲に甘えないで来られましたからね。
それぞれが苦汁を味わってきたからこその絆が83年組にはある。そんな彼女たちは、アラ還ライブでどんなステージを見せてくれるのか——。
画像ページ >【写真あり】当時の顔が初々しい「83年組アイドルアラ!?還ライブ」のイベント告知(他2枚)
