■弟の病気を受け止められず睡眠障害に。夜は錯乱して泣き喚くことも──
酒井一圭は’75年6月20日に、大阪府吹田市で生まれた。幼いころは、テレビのお天気コーナーの中継があれば、後ろでピースサインをして画面に映り込むような、テレビが大好きな“昭和”の少年。
児童劇団に入団し『逆転あばれはっちゃく』に大抜擢されたのは、小学3年生のとき。家族は喜んでくれたが、母親が送り迎えをしてくれたことは一度もなかった。
「5歳下の、自閉症の弟につきっきりやったから。弟はかわいいけど、子供ながらに彼の病気を受け止めきれないところもあって、半年ほど睡眠障害に……。布団に入って1時間ほどしたら、錯乱して泣き喚いていたそうなんですが、全然、記憶にない。親が録音した音声を聞いてびっくりしました」
弟の自閉症が酒井の生き方にも影響を与えたという。
「自分の気持ちを伝えられず生きづらさを抱えている弟の分も、自分は人に嫌われようが好きに生きていこうって決めたんです。弟のおかげで今の自分がいる」
いつもポケットサイズの地図を片手に、一人で仕事現場に向かっていた。親の手を離れて自ら行動していたこともあり、大人びた部分があった。『あばれはっちゃく』の最終回の撮影時、歴代はっちゃくの父親役をつとめた東野英心さん、母親役の久里千春さんは、こんなことをこぼしていたという。
「一圭くん、もうちょっと懐いてもよかったんじゃないか。これまでの4人の長太郎は、肩や膝に乗ってきたんだよ」と──。
「芝居では甘えて膝に乗るのに、カットがかかると『ありがとうございました』と素に戻るんです。寂しがり屋だから集団にいるのは好きなんですが、ふとした瞬間に“スンッ”となり、冷静に周囲を俯瞰する子やったんです」
自分を客観視できたからこそ、『あばれはっちゃく』終了後、あっさりと芸能界から身を引いた。
「余力があってやめたわけではなく、全て出し切って一滴も出ない状態。あのまま子役を続けていたら、病んでつぶれていたはずです」
ごく普通の小・中・高校時代を過ごしたものの、高校2年から進路を考え始めると、やっぱり自分が進むべきは芸能界しかなかった。進路を決定づけたのは、高校3年の文化祭で歌ったことだ。
「周囲は誰もが“はっちゃくの酒井”と意識していました。ボク自身はそっとしておいてほしいから、なるべく目立たないようにしていたんです。でも芸能界に戻ることを考えていたときに『文化祭ライブでブルーハーツをやらないか』と誘いがあって、どれだけ自分ができるのか試したくなった。ウケたら芸能界に戻り、スベったら戻らないって決めたんです」
ライブの様子は、今でも色濃く記憶に残っている。
「自分が死ぬとき、走馬灯の中にあのライブのシーンが絶対にあると断言できるほど“芸能界に進もう”と決意させてくれた出来事。まあ、騒ぎたいやつらがライブに来たわけやし、ブルーハーツのコピーやから誰がやっても盛り上がった気はしますけどね(笑)」
しかし、再び芸能界に進んだ酒井を待ち受けていたのは険しい道のりだった──。
