■妻と子供に強いた貧乏生活。「売れない俳優」脱却の契機は、“夢でのお告げ”
「高校を卒業して最初にやったのは、『演劇ぶっく』という雑誌を買って、旗揚げしたばかりの劇団の面接を受けたこと。出鼻を挫かれたのは、チケットを売るノルマが課されたこと。子役出身のボクは出演料をもらうのは当たり前だったから“こんな苦労をしてまで、オレは芝居がしたいのか?”と自問自答するハメに(笑)」
そんなとき、たまたまアルバイト先の友人を介し、舞台出演のチャンスに恵まれた。話はとんとん拍子に進んでいく。偶然にも、舞台を見ていた関係者から、実家に電話がかかってきたのだ。
「『はっちゃくをやってた酒井くんでしょ。今度、映画撮るから、準主役として出てよ』って。それが『横浜ばっくれ隊』(’94年)という作品でした。まだ売れる前のバナナマンの日村(勇紀)くんやピコ太郎(古坂大魔王)もいて、夢を持って頑張っている仲間から刺激を受けました」
スーパー戦隊シリーズ『百獣戦隊ガオレンジャー』(’01年)にガオブラック役で出演してからしばらくしたころ、一人の女性と再会した。遡ること約7年、酒井が駅前でティッシュ配りの仕事をしていたときに知り合った女性だ。
「’03年の佐藤浩市さん主演ドラマ『高原へいらっしゃい』(TBS系)に出たとき、女性がボクのことを覚えていて、調べると『ガオレンジャー』にも出ていたことがわかったそう。それでホームページからメールを送ってくれたんです」
再会してすぐ「結婚相手はこいつしかおらん!」と直感が働いた。時代はまさに、木村拓哉を筆頭に元SMAPメンバーがドラマ界を席巻していた。
「正直、ボクが活躍できる場所がないわけです。普通は20代でバリバリ仕事をして、お金を貯めてから家庭や子供を持つというのが当たり前なんだろうけど、そんなことオレ、絶対できへんやんって。“オレが活躍するのはまだ先、40代、50代からや”と考え、その前に結婚しようって逆の発想をしたわけです」
とはいえ、“売れない俳優”では両家から結婚の許しがもらえない。
「両家の集まりで、うちの母親ですら『こいつと一緒になっても絶対に幸せになれへん』と力説してましたが、妻の両親はすごく大らかでいい人やったんです。『2時間ドラマに出られるといいね』と勇気づけてくれて、ボクも『死体役でも頑張ります!』と、会話もなごやかでした」
女性と結婚してまもなく長男が誕生。思惑どおりに事を進めたが、課題は生活資金だ。
「当時の収入源は、キャスティングやマネジメント業でしたが、そのほかはバイトをまったくせず、芸能の仕事もあんまりない状況やから、やるのは競馬ばかり。妻も子育てで働けないから、両家が総力戦で、ボクの生活を支えてくれました。
うちの親父も、妻に『あいつ(酒井)には絶対に言うな。競馬に使ってしまうから』って、内緒で生活費を振り込んでくれたんです」
内心では「オレが活躍するのは40代、50代やから、まだやねんな。実際、時代がな……」と売れる確信はあるものの、その根拠については「多分言っても理解できないからな……」と、妻には貧乏生活を強いていたという。
「それでも妻からは、何も文句を言われたことがないんですよ。買い物も、割引シールが貼られる夕方以降やったし、毎日のように安いもやしで料理を作ってくれて。長女、次男にも恵まれましたが、下の子になるほど洋服がお古になるから、ボロボロになっていくんです」
’05年、「あまりにヒマだった」から、公園で友人と遊ぶ感覚で自主映画『クラッシャーカズヨシ』の主役を演じる。その撮影中のハプニングが大きな転機を呼んだ。
「『トウッ』と言って1mくらいの高さから飛び降りるシーンで、右足首を負傷したんです。痛みで押さえていた手を恐る恐る離すと、骨からシャリシャリっていうやばい音がして……」
救急車で病院に運ばれると、外科医から「今までどおりに歩けるかは保証できません」と言われるほどの重傷。最悪の事態も覚悟したが、酒井はなぜか病院で、連日のように大御所歌手である前川清の夢を見たという。
「スモークの中で、微動だにせず前川さんが歌っているんです。なんで毎晩出てきはるのかなって考えるうちに“お告げやな”って気づいて。歩けないと俳優は続けられないかもしれんけど、歌手ならできるかもって思ったんです」
幸いにも足は無事に回復。退院後、酒井は自分と同じような特撮ヒーロー出身者に声をかけ、’07年に純烈を結成。’10年にメジャーデビューを果たしたのだった。
(取材・文:小野建史)
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