桜金造(写真:本誌写真部) 画像を見る

「僕は18歳のときに、スカウトされて渡辺プロダクションに入ったんですが、理由は、ドリフターズやクレージ―キャッツ、キャンディーズに会えると思ったからなんです。『踊る大捜査線』の現場で、大好きないかりや長介さんに会えたのは嬉しかった」
そう、思い出を語るのは、コメディアンで俳優の桜金造さん(69)。
9月18日に劇場版『踊る大捜査線N.E.W.メトロポリスを駆け抜けろ!』が公開となった。
本誌では『踊る大捜査線』シリーズの作品に出演して、現在は一風変わった経歴を歩んでいる人の「あの人はいま」を取材した。
桜さんは、1997年に放送されたテレビシリーズの第3話と、翌1998年公開の劇場版『THE MOVIE湾岸署史上最悪の3日間!』に出演している。
桜さんは、勝どき署の刑事課強行犯の警部補役で登場。青島刑事(織田裕二さん・58)や、和久指導員(故・いかりや長介さん・当時65)の所属する湾岸署と勝どき署の管轄する区域の境界線上で、当時、開発が進んでおらず空き地も多かったお台場を管轄する出来立ての湾岸署の署員に対して、『空き地署は帰れ~』と、揶揄するコミカルな場面での出演だった。
「『踊る』は、監督はじめ撮影の段取りがよくて、スピーディーで、役者も呼ばれたらすぐに行けるようにと、楽屋も待機所みたいなところでした。その小さな部屋で、いかりやさんと2人きりで一時間ほど話ができたのが思い出です。“いかつい”顔をしてるけど、いかりやさんって優しいし面白いんです。
僕が『いかりや長介って本名ですか?』と、聞いたんです。『お前はバカだな~。考えてもみろよ。いかりや長介って名前あるわけないだろう。芸名に決まってるじゃないか』(と、いかりやさんを真似た口調で)と言われて。
『本名はなんていうんですか?』って聞くとね。『おれの、本名はな……碇屋長一(いかりやちょういち)だ』って……変わんねえじゃないかって思ったんだけど(笑)。
『踊る』シリーズは、君塚良一さんという脚本家の話がうまいよね。トレンディドラマが得意だったフジテレビだから、お台場とかレインボーブリッジとか、タイムリーなものを取り入れるのもうまかったよね。
でも、僕の撮影は、『空き地署、帰れ~』って言ってるだけですから、あっという間に終わって、嬉しい反面淋しかったね。織田裕二さんは、画面の青島のあのままの人で、現場の中心にいて、主役に向いている人だなと思いましたね」
当時、桜さんは故・伊丹十三監督の映画作品『タンポポ』(1985年)、『マルサの女』(1987年)、『マルサの女2』(1988年)にも出演し、俳優としての才能も開花させていた。
「『踊る』シリーズもその後、同じ役でお声がけしてもらっていたんです。でも、3カ月ほどスケジュールを欲しいと言われて、『それは無理です』と断っちゃったんだよね……。若気の至りだったかもですね……。もしかしたら、『空き地署帰れ~』で、出番続いていたのかも。妄想になるけどね(苦笑)」
怪談師としての扉が開いたのもこの時期だ。きっかけは『笑っていいとも』(フジテレビ系)だった。
「本番前にタモリさんと雑談していて、『実は夕べ、お化けに会いまして』と話したところ、異常に喜んでくれて、『生放送で今日やろうよ』って言ってくれて」
反響が大きく、そこから怪談を話す機会が増えていった。
「僕、本人としてはね、恐い話もホラー映画も大嫌いなの。コメディは好きだけど。僕の話は全部実話なので、話をすると、その体験を思い出すから自分で恐かったの。だから嫌なんだけど、『やろうよ』という人が周りに多くいて、怪談を求められることが増えていったんです」
1995年にスタートした『コメディーお江戸でござる』(NHK総合)にもレギュラー出演。怪談師としての依頼も増えた。またロックバンド「西東京」の活動も行っていた。
「『コメディーお江戸でござる』は10年間やって、後半は僕が座長のようなポジションで、責任もあり気を使い、疲れましたね。ただ、怪談噺の仕事は、断るより引き受ける方が楽だなと思うようになって、毎年のように本やビデオも出していきました」
2013年、56歳のとき自宅の風呂場で脳内出血で倒れた。
「前兆もなかったんです。発見したのは妻と4人の子どもたちです。本人はね、眠っているような状態で、ふわ~っとしていて気持ちいいんですよ。そのまま浴槽でおぼれて死ぬ人も多いんですよね」
3カ月ほど入院して、リハビリ病院に転院。その後、ロックバンドのライブに向けて、必死でリハビリに励んだ。
「リハビリは大変です。今、左手は動かなくて、障害1級ですからなかなかのものです」
それでも、しゃべりは健在だ。
「言語を司る脳のダメージが少なかったんです。でも最初のころは、何を言っているかわからないといわれて、スピーチセラピーの専門家と一緒に発音や滑舌のリハビリをしました」
そして、今年に入り、人気占術家・島田秀平さん(48)のYouTubeチャンネル『島田秀平のお怪談巡り』に「レジェンド怪談師」として招かれて怪談噺を披露し、再生回数も33万回超えの人気となっている。桜さんが話す怪談噺は、どれも実話に基づいている。
「入院中の病院にも(幽霊)いました。見えるし感じるので『本当にいるんだな』って思ったんです。それまでは、妖精やサンタクロースと同じで、いるかいないかで論争することでもないなと思っていました。
例えると映画『シックスセンス』が、すごく近い気がしますね。この世とあの世は分かれているのではなくて、一緒になっていると思いますね。今は(幽霊を)見ても怖いという感じじゃないんですよ。むしろ『ここにいたのね』と、なんか温かいものを感じます』
「『踊る』でいうとね」と前置きをして、刑事との怪談噺を披露してくれた。
「ある刑事さんが、僕が怪談噺をしているのを知っていて、担当している殺人事件の話をしてくれました。
捜査中、被害者が亡くなって、初七日とか四十九日の節目に、必ずといっていいぐらい事件がぐっと解決に向かうというんです。
遺体なき殺人は捜査が難しいそうです。犯人の自供を引き出しても、犯罪を立証するのが難しい。だから、遺体の捜索はとても大事だそうです」
あるとき、川に遺体を捨てたと犯人が自供したという。
「何十人、何百人の人を出して、川の底や、海へ向かう方向にダイバーが潜り捜索したが、出てこない。
警察の間で、諦めムードが漂っていた事件発生の四十九日目。遺体があがったと報告がきたそうです。川の下流を探していたのが、なぜか川の上流で釣りをしていた人が見つけたと。
しかも、水中に49日もいたのに、寒い季節だったので腐敗も進まずに、ちゃんと解剖もできてDNAも出たりと、不思議なことがあると話してくれました。
そのことから、難航している捜査でも、49日、100日、1年までは粘ろうと頑張って捜査していると、聞かせてくれました。警察の人もね、『踊る』じゃないけれど、まんざら怪談噺をバカにはしていないと教わりました」
69歳になった今、左手は動かず足は動くが不自由だ。一人でできないことが増えると、人生の捉え方が変化し、周りへの感謝も増えてきたと桜さん。
「これからはケースワーカーとか、人のために働いていきたいです。周りに感謝して、脳内にオキシトシンとセロトニンがたくさん出る生活をしていきたいですね。今は、夜寝る前に『今日一日ありがとうございました』って、毎日思ってます。
『踊る大捜査線』じゃないけど、車いすで街を移動するとき、交番の前におまわりさんが立っているときがあります。大きな声で『ごくろうさまです』と挨拶すると、嬉しそうだし、瞬間ビっと敬礼してくれます」

画像ページ >【写真あり】『踊る』14年ぶり新作撮影現場で、疲れた表情を見せる織田裕二(他6枚)

出典元:

WEB女性自身

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