■“生きづらさ”を抱えていた×華さん
沖田×華さんは1979年2月に、富山県に生まれた。
「1階が町中華店で2階が住居という環境に育って、いつもチャーハンのにおいがしてました。家にお風呂がなかったから、そのことに対するいじりが多かったかな」
×華さんは毎日、学校には通うものの、細かいルールは何百回言われても守れなかった。
「雪国なんで、冬場はジャケット着るじゃないですか。そしたらランドセル忘れるんです。『気をつけてね』って言われても、何をどう気をつけたらいいのかわからない」
のちに学習障害、注意欠如・多動症、アスペルガー症候群と診断されるが、当時は発達障害という言葉は一般的でなかった。理解も得られず、生きづらさを抱えていた。
「横断歩道は白い部分を歩く、空き缶を見つけたら3回蹴るなどこだわりも強いから、遅刻も多かったです。忘れ物も日常茶飯事。小学生時代、朝から午前11時までに怒られた回数が30回を超えたときは、さすがに死にたいって思いました」
勉強は苦手だったが、なんとか定時制の看護専門学校に滑り込み、正看護師の資格を得た。だが社会は学校より甘くはなかった。
「大手で、給料も高い美容整形クリニックに入ったんですけど、1日目から指示が理解できない。『あれやっといて』の『あれ』って何?という感じ。頭のどっかにでっかい穴が開いてて、何をしても埋まらないっていう感覚でした」
社会人になって、発達障害を自覚。夜はおっぱいパブで働き、お金を稼ぐことで、自分で自分の価値を見いだすしかなかった。けっきょくクリニックは1年ぐらいで辞めて、名古屋へ転居し、本格的に風俗で働き始めたのだった。
