■桜壱さんは漫画家デビューを果たすも……
一方、×華さんより15歳上の桜壱バーゲンさんは、1964年6月、大阪市に生まれた。「『ジャンプ』や『マガジン』など、すべての少年漫画誌に個性があって面白かった時代。小1ぐらいには漫画を描いていました」
中学、高校では勉強はまったくできなかったが、先生や仲間の似顔絵を描くと喜ばれた。「オレみたいなのはろくでもない会社にしか入れないやろうから、漫画家になろうって思ったんです。謎の自信がありましたね」
高校卒業後、出版社の多い東京で暮らそうと、バイトでためた50万円を手に上京。月給8万円の漫画家のアシスタントの職を見つけたが、なかなか仕事に呼ばれない。地元大阪に撤退して、在阪の人気漫画家のアシスタントに採用されたが、親との関係が最悪で実家に住めず、3日で退職。長野の農場での住み込みのバイトもうまくいかず、逃げるように東京に舞い戻り、頼ったのが『釣りバカ日誌』の作画を務める北見けんいちさんだった。
アシスタントの最初の給料は20万円。「15万くらいと聞いていたから『間違ってますよ』と伝えたら、北見先生は『お前、レベルが違うから』と言ってくれたんです」
自信を得た桜壱さんは、23歳で同じ職場の女性と結婚。8年ほどアシスタントをしていた。
「居心地がよかったんですが、このまま甘えていたら漫画家として独り立ちできません。独立しようと、29歳のときに一念発起して『漫画アクション』(双葉社)の賞に応募。佳作をもらえて連載が決まりました」
ところが描かされるのは、エロギャグ漫画ばかりだった。
「5年くらい続けていると、だいたい同じ内容になってマンネリ化するし、担当編集者と喧嘩して干されたりして、漫画が嫌になってしまったんです。子供もまだ3~4歳だったのに……」
×華さん同様に、思うようにならない人生だった。
「36歳で始めたそば店の出前のバイトでは、16歳の先輩に叱られていました。レストランの皿洗い、宅配便の配達などを転々としているうちに“オレは何やってんだ”って落ち込むんですね。それでもう一回、アシスタントから勉強し直そうと思ったんです」
『タイガーマスク二世』などの作品がある、漫画家の宮田淳一さんのアシスタントを始めた。
