「私たちは仕えていたのはキング・オブ・ポップではなく、1人の男性であり、父親であったミスタージャクソンです」——そう話すのは、マイケル・ジャクソンが命を落とすまでの2年半を支えた2人のボディガード、ビル・ホワイトフィールドとジェイヴォン・ベアードだ。ジャクソンが財政的に破綻して給料を払えなくなっても、亡くなるまでの4ヶ月は無報酬でガードを務めたという忠実な2人が、マイケル・ジャクソンの晩年の様子をMirror紙に初めて語った。
彼は時々、突拍子もないことをしてはいたものの、常に子供たちの良い父親であったという。宿題を教え、きちんと食事をさせ、寝かしつけもきちんと行っていたとか。その様子からも、2人はジャクソンが決して小児性愛者などではなかったと確信している。現に、ある女性と親密な関係にあり、黒いリムジンの後部座席で“うまくやる”こともあったという。その美しいブルネットの女性は「Friend」というコードネームで呼ばれていた。彼女が去った後にはコードネーム「Flower」がやってきた。そばかすのあるブロンド女性だったが、少々押しが強かったためあまり関係は長続きしなかったらしい。
「彼は確かに、ちょっと変わっていました。店に入ると、置いてあるものをすべて買い占めてしまうんです。ホテルに泊まったときは、数千冊の本を買っていました。あるときは書店を丸ごと買ってしまったこともあります」とホワイトフィールドはボスの奇行を語る。そして自宅には数百本ものタバスコが常備されていたこと、午前4時まで1人で躍っていたこと、出かけるときには異常なまでに周囲を警戒し、子供たちにも過剰な変装をさせていたことなどを明かした。
ベアードによると、ジャクソンは自宅にインターネット環境を置かず、テレビを見ることも禁じていたため、子供たちは父親がどのように報じられているか、一切知ることはなかったという。子供たちのためにピエロやマジシャンを家に招き、巨大なケーキやごちそうをふんだんに振る舞う贅沢なパーティをたびたび開いていたが、友人が呼ばれることはただの一度もなく、ベアードは子供たちを「孤独でかわいそうだった」と回想する。
玩具店や映画館に行くと、一般客に邪魔されることのないよう必ず貸し切り状態にしたという。従業員には身体検査を受けさせ、携帯電話も一時没収するなど、徹底したプライバシー保護対策を取っていた。武装した警備員が建物の外を見張っているにも関わらず、ジャクソンはドアのロックを一つ一つ自ら確かめていた。これは偏執病の症状だったのだろうとベアードは話す。
ジャクソンが亡くなり、失意のまま葬儀に出席したホワイトフィールドは「マイケルは友人でした」と口にする有名人を大勢見かけた。しかし、彼がジャクソンに仕えていた2年半の間、訪ねてくることもなく、ジャクソンから彼らの名前が語られることもなかった。キング・オブ・ポップは本当に孤独だった。