BTS苦闘の練習生時代 RMがグループの原点…SUGA辞退も考えた
画像を見る 13年、デビュー間もないころ音楽番組に出演したBTS(写真:アフロ)

 

■1日7~8時間のレッスン 1部屋に7~8人が寝食をともにする練習生生活

 

「BTSが7人グループとしてデビューするまでに、30人以上の練習生たちが宿舎に出入りしていたんですよ」

 

そう教えてくれたのは、ソウル在住の芸能ジャーナリスト、ソ・ビョンギさんだ。BTSのデビュー前からメンバーを見守ってきた彼は、さらに続けて言う。

 

「パン・シヒョク氏は、まずは門限も何も強制せず、ダンスや歌のレッスン、曲作りも本人の自主性に任せていた。ただし、3カ月たっても見込みがなければ宿舎を出ていってもらう。

 

音楽が心底好きで資質があって、態度も性格もいい少年だけが本格的なレッスンに残るのです」

 

「パン・シヒョク氏」とは、韓国の大手芸能事務所から独立し、’05年に自らの会社「ビッグヒット・エンターテインメント(現・ハイブ)」(以下・ビッグヒット)を立ち上げた音楽プロデューサー(以下・Pd)だ。

 

練習生たちは、パンPdのディレクションのもと、1日7~8時間の本格的なレッスンを受ける。そして毎週、彼らの練習映像を基に会議が行われ、メンバー候補の入れ替え、再構成が行われるのだ。つまり、一部屋で7~8人が寝食を共にする宿舎から、毎週誰かが荷物をまとめて出ていき、また新しい誰かが入ってくる。いつとも知れないデビューの時を待って、これが無期限に続くのであるー。

 

■練習生第1号として見いだされたRM ダンスのレッスンに逃げ出そうとしたことも

 

そもそもパンPdが、防弾少年団という新グループを構想したのは、’10年、アンダーグラウンドのラッパーとして注目を浴びていた当時高校生だったRM(ラップ・モンスター)との出会いだと、ソ・ビョンギさんは語る。

 

「パンPdは、RMの圧倒的な才能をデビューさせるために、ヒップホップグループを作ろうとしたんです」

 

メインラッパーのRM(本名=キム・ナムジュン)は、1994年にソウル特別市で生まれ、京畿道高陽市で育った。IQが高く成績優秀。流ちょうな英語は、アメリカのドラマのDVDを繰り返し見て独学したものだ。作家の夢を抱きながらも、父親のようなビジネスエリートを目指し、小学生のころから複数の塾に通っていた。

 

当時の自分について、RMは国連でのスピーチで語っている。

 

「他人が作った型に自分を押し込もうとしていました。自分の声に耳を閉ざし、他人の声を聞くようになりました。(中略)幽霊のようになっていったのです」

 

そんな少年が、13歳のときに見つけた「逃げ込む場所」が音楽だった。しかも自分の思いを詞にしてぶつけるラップだ。

 

パンPdに見いだされたRMは、練習生の第1号として過酷なレッスンの日々を送るようになった。ダンスが苦手な彼は、「なんでラッパーが踊らなきゃいけないんだ」と反抗したり、逃げ出したこともあったという。

 

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