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【前編】BTS苦闘の練習生時代 RMがグループの原点…SUGA辞退も考えたから続く

 

「BTSは、『Dynamite』(’20年の世界的大ヒット曲)のころまでは自分の手の上にあったけれど、今は自分たちがどんなグループなのかわからなくなった。韓国のアイドルシステムは、人として成熟するための時間を与えてくれない」

 

リーダーのRM(アールエム・27)が心の内を語ったのは、6月14日、世界的な人気を誇るBTSのユーチューブ公式チャンネルでのことだ。メンバー7人が集まったデビュー9周年記念の会食動画で、「グループ活動休止」が宣言されたのである。

 

BTSが、「防弾少年団」というヒップホップアイドルグループとしてデビューしたのは、’13年6月13日のことだ。試行錯誤の3年後、『I NEED U』で韓国のトップアイドルに躍り出るや、彼らの快進撃が始まった。

 

世界進出を視野に、防弾少年団の英字表記「BangTan Sonyeondan(バンタン・ソニョンダン)」の略称BTSがグループの呼び名に。’18年にアルバム『LOVE YOURSELF轉’Tear’』が米ビルボード・アルバム・チャートで1位に輝き、初の英語楽曲『Dynamite』もシングルチャート1位に。 翌’21年に発表した『Butter』に至ってはビルボードHOT100初登場から7週連続1位、ユーチューブではMVが24時間で1億820万回という最多再生記録を叩き出した。

 

今年4月には『Butter』で2度目のグラミー賞にノミネートされ、会場でパフォーマンスを披露。BTSは、まばゆいまでの実績と影響力を世界中に刻んできた。

 

そんな彼らが「グループ活動休止」を涙ながらに語った今だからこそ原点に返り、7人それぞれのデビューまでの軌跡を追いたい。

 

■デビューを見送られそうになったJ-HOPE リーダーのRMは事務所に直談判

 

’10年12月、3番目の練習生になったのが、リードラッパーでメインダンサーのJ-HOPE(ジェイホープ・28・本名=チョン・ホソク)だ。1994年、高校の国語教師を父に光州広域市で生まれた彼は、幼いころからダンスが好きで、小学6年からは本格的に習い始めた。中学で全国大会で優勝し、やがて光州市では知名度抜群のストリートダンサーに成長。

 

練習生になったきっかけは、’10年12月、彼の通うダンスアカデミーでビッグヒットエンターテインメント(現・ハイブ)」(以下・ビッグヒット)のオーディションがあったときのこと。休憩時間も、撮影チームの撤収後も、J-HOPEだけは無心に汗を流して踊っていた。その姿に胸を打たれたスタッフが、「献身的なタレントがいる」と、ソウルの事務所に報告したのである。

 

ソウル在住のジャーナリスト、キム・ミジョンさんによれば、

 

「でも彼は、当時はラップ色が強かった宿舎にも練習場にも、なかなかなじめなかったそうです。ストリートダンスの癖を直すのにもとても苦労した」

 

そんな彼に手を差し伸べたのが、SUGAだった。一人で過ごさなければいけない大みそかにチキンを差し入れたり、なにかと気を配ってくれたのだ。当時はあまり笑顔を見せなかったJ-HOPEの変化についてSUGAが語っている。

 

「ホソクは、希望(HOPE)という芸名をつけてから、楽観的になったんだよ」

 

しかし危機もあった。’18年のBTSの配信映像によれば、練習生時代のJ-HOPEは、デビューを見送られそうになり、自ら脱退して故郷に帰ろうとしたという。

 

脱退をメンバーに告げると、最年少のJUNG KOOK(24)は「辞めないで!」と抱きついて泣き、リーダーのRMは事務所に直談判。「彼がいないとチームではなくなってしまうんです」と訴え、J-HOPEの残留が決まったのだ。価値を認め合っているメンバーたちの結束の強さがうかがえる。

 

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