ヨンハのスクラップブックや本誌の追悼増刊号を持参してくださった花岡さん。ページをめくるたびに笑みがこぼれていた(撮影:加治屋誠) 画像を見る

【前編】“推し”の急逝を機に、44歳から韓国語勉強→51歳で字幕監修者になった女性「やりたいと思ったら、どんどんやっていい」より続く

 

『冬のソナタ』で主人公の恋敵を演じ、一躍有名になった韓流スター、パク・ヨンハ。歌手としても『最愛のひと』などがヒットし、武道館公演も成し遂げた。だが彼は’10年、32歳の若さで命を絶った。

 

6月30日で十五回忌を迎えた彼を、花岡理恵さん(58)はいまも毎日思い続けている。ヨンハを好きになり、韓国語を学び、専業主婦から51歳で字幕監修者に。“推しに出会って運命が変わった”彼女の人生に迫る。

 

その後の成長は目覚ましかった。

 

勉強を始めてから3年後、教室の先生の勧めで弁論大会に出場。「韓国と恋に落ちた私」という題名で4分間のスピーチを行い、14人中、3位の成績を収めた。

 

「ふだんの生活にどのように韓国を取り入れているかといった内容で、〈犬にも韓国語で話しかける〉といった話をしながら、日韓が理解し合えたら、と締めくくりました。最後の発表者だったので、ものすごくドキドキしていたのですが、本番は、まるで天使が降りてきたみたいに夢心地で、楽しかったんです」

 

転機は、なにげなく受講した映像字幕の会社の公開講座。初めて字幕翻訳を付ける経験をした。

 

「1秒につき4文字などの字幕のルールがあり、自分で秒数をカウントしながら、字幕翻訳を付けていく。これがすごく面白くて、韓国語を仕事に生かすことを考えるきっかけになりました」

 

もっと実力を伸ばしたい。そう考えた花岡さんは、地元・埼玉の教室をやめ、東京の在日本韓国YMCAに転校。講師に押し切られる形で最上級クラスに入ることに。

 

「授業は全て韓国語で、講義の内容も政治経済や歴史など、濃いものでした。関心のないことになると、てんで言葉が理解できず、授業についていくために泣きながら予習をしていました」

 

でも、不思議と勉強が嫌になることはなかった。

 

「この背伸びでだいぶ鍛えられ、力がついた実感もありました」

 

1年後、字幕制作会社が開催する映像翻訳講座を受講し、修了試験では1位を獲得。

 

「私以外の参加者は全員、すでに字幕翻訳の仕事をしていたので、まさか自分が1位になるとは」

 

自信をつけた花岡さんは、韓流コンテンツ配給会社の大手、コンテンツセブンの求人に応募。高倍率のなかで採用が決まった。

 

当時51歳。会社勤めの経験のない自分が、なぜ高倍率のなかから選ばれたのか。

 

「採用が決まったときはとても驚きましたが、おそらく、日本語力だけでなく、言葉の組み立て方や選び方なども評価されたのかなと思っています」

 

そして、人生初の会社員生活がスタート。

 

「仕事のことよりも、毎日の通勤電車が心配でした(笑)」

 

と振り返ったが、当時の日記にはこうつづられていた。

 

《今日から3連休。入社して1ヶ月、ずいぶん仕事(パソコン)も覚え、監修作業はめっちゃ楽しい。

 

赤坂を歩くとき、なぜここを歩いているのか なぜここを歩けるのか 思う。それは採用されたからであり、ここに入っていいよと席を準備されたから。それは 本当に自分の力でつかんだもの。だから、歩くたび とても楽しい》

 

自分の“居場所”を得た花岡さんは、見習いからすぐ一人前の字幕監修者へと成長。採用試験時に、エクセルという言葉自体初耳で、町のパソコン教室に「エクセルって何ですか?」と駆け込んだことも笑い話となった。

 

そして’19年11月、韓国の盆唐メモリアルパーク(京畿道城南市)を訪れた花岡さんは、墓地の入口の花屋さんで購入した小さな花束と、ヨンハと飲もうと用意した焼酎を手に墓へと向かった。

 

ようやく彼の眠る地を訪れることができた喜びで、坂道を上る足取りも軽かった。

 

「韓国人のファンが先客でいたんです。その方はお祈りをしたり、枯れ草を摘んだりと、なかなか立ち去る様子がない。

 

15分ほど待って、『私もお祈りをしてもよろしいですか』と声をかけると、すぐに譲ってくれたのですが、今度は、お墓の横で携帯電話をかけ始めて、病院の予約がどうのこうのと。さらには、通りがかりのおじさんたちにも声をかけられて……」

 

静かな墓前でしっとりとヨンハに語りかける自分を想像していたが、この予想もしていなかった展開に「何か違う!」と心の中で叫んだ。

 

「それでも、なんとか気を取り直して挨拶をしました。墓碑のヨンハの写真に向かって、『とうとう来ました。ありがとう』と手を合わせました。

 

そして、ますます大きくなる電話の声をよそに、持参した焼酎をお墓にかけて、自分も飲み、ヨンハと一緒に焼酎を飲むという夢がかなえられました」

 

念願の墓参りは、思いもよらずにぎやかなものとなったが、「ヨンハも噴き出しているだろうな」と、天国の彼に思いをはせた。

 

「2人の息子の子育てもあり、ヨンハが亡くなってから9年もかかってしまいましたが、字幕監修者として自分で稼いだお金で墓参りできたことは、私にとって大きな意味がありました」

 

次ページ >勉強はつらかったらやめていい「好きだから、“ついやっちゃう”が大事です」

【関連画像】

関連カテゴリー: