■天皇陛下が反対していた同級生の側近登用
しかし賀陽氏の長男・次男を絶賛していたはずの前出の天皇陛下の知人の意見も、予想とは異なるものだった。
「確かに2人のお子さんは素晴らしい青年たちです。しかし、この縁談が進んでいくとなると、天皇陛下も雅子さまも困惑なさると思います。ある時期から両陛下と賀陽氏は、疎遠になっているからです」
両陛下と賀陽氏との間に何があったのか。さらに取材を進めていくと意外な事実が判明した。
「20年ほど前、故・鎌倉節さんが宮内庁長官を務めていたころ(’96年から’01年)のことです。賀陽氏が当時は皇太子殿下でいらした天皇陛下の、東宮侍従に就任することが決まりかけました。賀陽氏には“おそばで殿下をお支えしたい”という強い熱意もあり、鎌倉長官も“殿下の周囲に同年代の相談役がいたほうがよいのではないか”という判断で、内示を出したのです。
しかし陛下はこの人事に厳しい調子で異を唱えられたそうです。『かつての同級生と上司と部下のような関係で接したくはない』と。賀陽さんは、その直後に外務省に出向を命じられました。宮内庁長官という側近トップと、長年の同級生が、自分にまったく相談もなく重要人事を決めてしまっていたことに、陛下は強い不信感を抱かれたのではないでしょうか。
その後、陛下が賀陽さんとの交流を復活なされたという話は聞きません。雅子さまもその経緯を間近でご覧になっています」(元東宮職関係者)
また陛下と旧友とのわだかまりが解消されていたとしても、“賀陽家との縁談実現は難しいのでは”と語るのは宮内庁関係者。
「雅子さまはかつて『愛子には愛子の持って生まれた運命がある』と、漏らされたことがあったそうです。それは皇室に生まれた宿命を受け入れつつも、せめて結婚などの女性としての幸せは自分の意思で決めてほしいという願いを込めたお言葉でした。
また天皇陛下も、一時期は暗礁に乗り上げながらも、雅子さまへの愛を貫き、結婚されています。愛子さまにも“結婚相手は自分で選んでもらいたい”と願われていることでしょう」
愛子さまのご結婚が、政治的な主義主張に利用されないことを祈るばかりだ――。