■六つになっていた“忘れてはならない日”
’81年8月7日、当時は皇太子だった上皇さまは記者会見で次のように語られた。
「日本では、どうしても記憶しなければならないことが四つあると思います。(終戦記念日と)昨日の広島の原爆、それから明後日の長崎の原爆の日、そして6月23日の沖縄の戦いの終結の日、この日には黙祷を捧げて、今のようなことを考えています。そして平和のありがたさというものをかみしめ、また、平和を守っていきたいものと思っています」
この瞬間以来、“忘れてはならない日”が、日本国民の心に刻み込まれたのだが、前出の宮内庁関係者は、
「愛子さまは、この四つの日にさらに阪神・淡路大震災の日、東日本大震災の日を加え、“六つの日”に祈りを捧げていかれることを明確にお示しになったのです。
このなかで愛子さまが実際に体験されているのは、東日本大震災のみですが、天皇皇后両陛下が、いかに皇室にとって祈りが重要であり、そして自然災害の被害に遭った人々に心を寄せることが大切であるかを、愛子さまに教えてこられたことが伝わってきます」
’16年5月、学習院女子中等科3年生だった愛子さまは、修学旅行中に広島平和記念公園を訪れ、その場で受けた衝撃と、平和を尊ばれる気持ちを作文につづられている。
《家族に見守られ、毎日学校で学べること、友達が待っていてくれること…なんて幸せなのだろう。なんて平和なのだろう。青い空を見て、そんなことを心の中でつぶやいた》
広島を訪問されてから7年、愛子さまの平和を希求されるお気持ちは変わらないどころか、22歳のお誕生日文書で新たに宣言されるほど、そのご覚悟と情熱は強くなっていたのだ。
12月1日、上皇さまと美智子さまは、ご自分たちの信念も受け継いだ“祈りのプリンセス”のご成長に胸を熱くされたに違いない。