「能登の素晴らしさを太鼓の音に」天皇皇后両陛下が交流した伝統芸能後継者が語る「復興への思い」
画像を見る 茶道家の奈良宗久さん /(C)JMPA

 

■「いしかわ百万石文化祭」で天皇皇后両陛下がご懇談を

 

「屋根の瓦が落ちたり、家の後ろで土砂崩れが起きたりしました。家の中でもタンスが倒れたり、食器類も床に落ちてしまったりで、地震が発生してから3日間は車で寝泊まりしなければなりませんでした」

 

大宮正晴さん(19)の自宅は、震度7に見舞われた輪島市の高台にある。津波警報により高台に避難してきた人々もいたが、室内の惨状のために、彼らを自宅へ受け入れることができる状況ではなかった。

 

大宮さんの生まれ育った輪島市名舟町で継承されてきたのが「御陣乗太鼓」だ。奥能登平定のために村を襲った上杉謙信の軍勢を、仮面をかぶった村人たちが太鼓を打ち鳴らし奇襲をかけて撃退したのが、その起源だという。

 

大宮さんが初めて太鼓をたたいたのは小学1年生。

 

「名舟の子供たちは小学校の6年間、公民館に集まって太鼓の練習をするのです。祖父も父も御陣乗太鼓をたたいていました。名舟の子供にしかできないことですから、自分もやるのは当たり前のように感じていましたし、誇りに思っていました」

 

町の人口約200人のうち、十数人が御陣乗太鼓の保存会に所属している。小学校卒業後は学校の運動部の活動に励んでいた大宮さんが、再び太鼓をたたくようになったのは高校3年生のときだった。

 

「伝統を守り続けてきた大人たちの御陣乗太鼓は、やっぱり迫力が違うのです。後輩が練習に参加するようになったのを機に、私も練習に加えてもらうことにしました。御陣乗太鼓は、たたくだけではなく、見えを切ったりもするのですが、それがすごく難しくて。

 

保存会のメンバーでもある父にも相談しましたが、言葉で説明できないこともあり、時間をかけて体得していくしかないという面もあります」

 

大宮さん、そして保存会の晴れ舞台となったのが昨年10月15日、天皇陛下と雅子さまが臨席された「いしかわ百万石文化祭2023(第38回国民文化祭及び第23回全国障害者芸術・文化祭)開会式」。

 

オープニングステージは「文化絢爛 石川をながれる物語」と題し、石川の多彩な歴史や文化の歩みを表現したものだった。6章で構成されていたが、その3章目では鬼の面をかぶった保存会のメンバーたちが、両陛下の前で勇壮な演技を披露したのだ。

 

ステージ後に、両陛下は出演者たちと懇談され、そのうちの1人が大宮さんだった。

 

「私の技術は未熟なのですが、天皇皇后両陛下や大勢の方がご覧になっているステージで、御陣乗太鼓のよさを伝えたいという願いを込めてたたきました。

 

天皇陛下からは『太鼓を始めたきっかけはなんですか』『前にも一度輪島に来たことがありますが、とてもいい街ですね』などとお声がけいただきました」

 

天皇陛下は学習院高等科のゼミ旅行で金沢市と輪島市に宿泊されている。当時、輪島市で御陣乗太鼓の迫力に感動されたという。

 

「そして皇后陛下からは、『太鼓は(体力的に)大変ではないですか』と……。御陣乗太鼓はたたく以外の所作も力強いので、ご心配いただいたのだと思います」

 

震災後、大宮さんは金沢市内で避難生活を送っている。御陣乗太鼓保存会事務局によれば、2月上旬には石川県白山市の和太鼓店のスタジオで、今年初めての練習があった。しかし避難先がバラバラのため、5人ほどのメンバーしか参加できなかったという。

 

「私もまだ練習に参加できていませんが、御陣乗太鼓は続けていくつもりです。輪島の見慣れた街並みはもう戻ってこないかもしれませんし、土地の隆起などもあり、元どおりにはならないかもしれません。

 

でもいま輪島市を離れて避難している人たちが『やっぱり、能登はいい、早く帰りたい』と思ってくれるような太鼓の音を響かせたいです」

 

名舟町の伝統と誇りを受け継いだ大宮さん、今春から輪島市役所での勤務が始まるという。

 

【後編】「いつか立ち直った石川県を両陛下に」親族が犠牲になった“左手のピアニスト”が語る復興への闘いへ続く

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