《今年は、戦後80年の節目を迎えます。終戦以来、人々のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられた一方で、現在も戦争や紛争により、世界各地で多くの人の命が失われていることに深い悲しみを覚えます》
1月1日、新年にあたっての天皇陛下のご感想が公表された。皇室担当記者はこう語る。
「天皇陛下と雅子さまの平和を希求される強い思いが伝わってきました。今年9月には国民文化祭が長崎県佐世保市で開催され、両陛下は長崎市の平和公園を訪問されます。また夏には広島の平和記念公園での原爆慰霊碑へのご供花、沖縄では国立沖縄戦没者墓苑でのご供花が検討されているそうです」
これらの3県では、戦争の記憶を語り継ぐ関係者と懇談されるという。
「“戦争を知らない世代”である両陛下ですが、戦争の犠牲者を慰霊するとともに、戦争の記憶や記録を風化させないことを強く願われているのです。
戦後70年の’15年には、宮内庁が上皇さまのご許可を得て、皇居内に造られた防空壕の『御文庫附属庫』の映像を公開しています。附属庫は昭和天皇がポツダム宣言の受諾を決めた御前会議が開かれた場所で、その映像は“皇室と戦争”にまつわる貴重な記録です。
戦後80年の今年も、両陛下は“皇居に残る戦争の記録”を公開されることをお考えなのです」(前出・皇室担当記者)
その候補の一つが、昭和天皇と香淳皇后が住まわれていた「吹上大宮御所」だという。宮内庁関係者はこう語る。
「今年は“昭和100年”にあたります。昭和を振り返るという意味で、昭和天皇が生活した吹上大宮御所を公開する可能性もあると思います。内部を見学した人によれば、ポツダム宣言受諾の御前会議の様子が描かれている大きな絵も飾られていたそうです」
そして、もう一つの候補とされているのが「御府(ぎょふ)」なのだという。前出の宮内庁関係者が続ける。
「御府はいまでは、その存在すらほとんど知られていません。もともとは日本軍が対外戦争で収奪し、持ち帰った戦利品を収納するための倉庫として造られました。振天府(しんてんふ、日清戦争)、建安府(けんあんふ、日露戦争)、顕忠府(けんちゅうふ、日中・太平洋戦争ほか)などの5つです」
御府が建てられたエリアは皇居の南部の、濠を隔てて警視庁本部庁舎と向かい合う場所に位置する。
収蔵された戦利品は、交戦国の国旗、小銃、大砲など。また戦死した日本軍兵士の写真や名簿なども収められていた。