1月17日、正午の時報に合わせて黙とうを捧げられた天皇陛下と雅子さま。当時を思い出されたのか、目を開けられた雅子さまの目はうっすらと赤く、涙ぐまれているように見えた――。
6434人の犠牲者を出した阪神・淡路大震災が発生してから30年、兵庫県公館で30年追悼式典が執り行われたのだ。献花台の前で、天皇陛下は哀悼の意を表された。
「今から30年前の今日、多くのかけがえのない命が一瞬にして奪われ、住み慣れた街と暮らしが失われました。震災の後、私も皇后と共に被災地を訪れましたが、被災された皆さんが、困難な現実を前にしながらも互いに励まし助け合い、懸命に前へ進もうとする姿は、今もなお脳裏に深く刻み込まれています」
天皇陛下のおことばを聞きながら、雅子さまの胸に去来していたものは……。
皇室担当記者はこう語る。
「天皇陛下と雅子さまが成婚されてから約1年半後に発生した阪神・淡路大震災は、いろいろな意味で両陛下にとっての“試練”となりました。
当時は皇太子ご夫妻でいらしたお二人は、3日後の1月20日に国際親善のために中東へ出発される予定でいらしたのです。
ご出発前の会見で陛下は、『このような状況で大変しのびない気持ちです』と語り、苦渋の表情を浮かべられました」
湾岸戦争後の緊迫した国際情勢により、中東ご訪問はすでに2度も延期されており、さらに訪問先の準備も整っていたため、3度目の延期については「先方に失礼では」という声もあったのだ。
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