■燃える自宅の様子をテレビで見た人も…
このとき懇談した一人である下舘博美さん(62)は、商店街でカフェを経営している。下舘さんの店は、震災の津波で土台だけになってしまう被害に遭っていた。
「多くの方々の支援で再びお店を始められたことに、雅子さまは『それは大変でしたね』と労ってくださいました。当時ご成婚30周年でしたので、“おめでとうございます。いつも両陛下と愛子さまの笑顔に励まされています”とお伝えすると、晴れやかなご表情で、『ありがとうございます』とおっしゃっていました。両陛下のご訪問後、大船渡市全体の雰囲気がとても明るくなったのを覚えています」
下舘さんは時折涙声になりながらも、山林火災が広がった地域の住民についてこう教えてくれた。
「山火事がひどかったあたりの住民は高齢者が多く、その方たちは震災後と同じように再び避難生活を送らざるをえなかったのです。
着の身着のままで避難した人、自宅が燃えているのをテレビで見たという人や、飼っていた犬を置いてきたという人……。延焼が続くなか帰るわけにもいかず、それぞれが心配や不安を募らせて、避難所で過ごしていました。
かつてのご訪問のように、両陛下に大船渡に来ていただけるなら、きっとまた街中の人が明るい気持ちを抱けると思います」
津波で家を流され、移り住んだ土地でも火事に襲われ……そんな絶望に苦しむ高齢者たちが急増していることに、日ごろから立場の弱い人々に心を寄せる雅子さまも、苦悶されているという。
「実際にお会いしている人々が大勢いるなか、被災地を訪れて慰問されたいお気持ちを陛下と雅子さまは募らせていらっしゃるようにお見受けします。皇室の方々が自然災害の被災地に直接お見舞いに赴かれることに明確な基準が設けられているわけではなく、両陛下の思いが第一となっています。
被災の全体像が明確にはなっていませんが、平成以降最大規模の山林火災です。戦後80年となる今年は硫黄島をはじめ各地を訪問するご予定が詰まっていますが、両陛下が大船渡の被災地を訪問される可能性も十分にあるように感じています」(前出・宮内庁関係者)
両陛下の“緊急ご慰問”の実現を待たずとも、お見舞いの気持ちを表明されたことだけでも大きな影響力があると、名古屋大学大学院准教授の河西秀哉さんは話す。
「両陛下の被災地へのお見舞いは、“まず事態に対応している人々に迷惑をかけない”という意識が明確に表れており、“人々の苦しみを理解し、自分たちも分かち合う”という一貫したご姿勢があるように感じています。
またお見舞いのお気持ちを表明されるだけでも、被災者の方々のみならず、消火活動や被災者支援にあたる人々をも励まし、被災地から離れた私たちにも、被災者の困難がより浸透していくのです」
炎が消えた大船渡の山々を前に流れる雅子さまの涙――。ご慰問が実現し、悲嘆にくれるお年寄りを抱きしめるように癒されるときが、1日でも早く訪れてほしい。
