3月18日、筑波大学附属高等学校の卒業式に臨まれた悠仁さま /(C)JMPA 画像を見る

昭和天皇が眠る武蔵野陵を前に、悠仁さまは一歩ずつ丁寧に歩まれている。3月20日、昭和天皇の武蔵野陵と香淳皇后の武蔵野東陵を参拝された。春の訪れを感じさせる暖かな日差しが降り注ぐなか、玉串を捧げ、ゆっくりと丁寧に拝礼されていた。

 

悠仁さまはこの2日前、筑波大学附属高等学校の卒業式に、秋篠宮ご夫妻に見守られながら臨まれている。秋篠宮さま以来、皇位継承権を持つ男性皇族が成年を迎えたのは40年ぶり。成年皇族としての第一歩を、ついに踏み出されたわけだが……。

 

「3月19日は、皇室の祖先などを祭る皇居・宮中三殿を参拝し、高校卒業をご奉告。この後には、御所で天皇皇后両陛下と愛子さまに挨拶されました。また成年を迎えたことを内外に表明する成年式は、19歳のお誕生日にあたる9月6日に実施される運びとなっています」(宮内庁関係者)

 

江戸時代の119代光格天皇から126代の天皇陛下まで、皇位は親子で受け継がれてきた。だが現在の皇位継承順では、陛下の次代は秋篠宮さま、その後は悠仁さまに受け継がれることになる。この約250年ぶりの“大変化”が、悠仁さまの帝王教育に対する疑問となって、昨今噴出しているのだ。皇室担当記者は、

 

「昨今、“悠仁さまに帝王教育の指南役がいない”“秋篠宮さまでは担えないのでは”という論調の報道が相次いでいるのです。

 

歴代天皇には、その時代を代表する一流の学者がおそばにつき、幼少期から幅広い分野で学びを深めていく伝統がありました。しかし何よりも、皇太子は父帝をお手本と定め、天皇としての心構えを育まれていくことが、皇室では理想とされてきたのです。

 

皇太子時代の上皇さまは、天皇陛下を伴い、週に一度は昭和天皇と食事をともにされていました。時局などに関する何げない対話などを通じ、孫である陛下が昭和天皇のなさりように接する場とされていたのです。歴史的な経緯も、こうした批判の背景になっているのでしょう」

 

しかし、長年秋篠宮さまと交流があるジャーナリストの江森敬治さんは、秋篠宮さまも幼いころから、こうした場に臨まれていたと明かす。

 

「昭和天皇と香淳皇后との食事の場に、上皇さまと美智子さまは秋篠宮さまたちも連れて参内されていたそうです。昭和天皇から『礼(あや)ちゃん』と呼ばれていたと、秋篠宮さまから聞いたことがあります。

 

天皇陛下と同様に、秋篠宮さまも上皇ご夫妻と一つ屋根の下で生活されるなかで、皇族として必要な多くのものを学ぶ、『生きた帝王教育』を受けられてきたように思います」

 

江森さんは4月3日に発売される『悠仁さま』(講談社)に、悠仁さまが6年前の平成最後の一般参賀に、おしのびで参加されていたエピソードをつづっている。当時12歳の悠仁さまは、国民の側からご両親や皇室の方々のお姿を見たいと志願されていたのだという。

 

「お二人の姉も一般参賀に大勢の参賀者たちに交じる形で参加していたことがありますが、悠仁さまも自然と見習い、希望されたと聞いています。今の両陛下や上皇ご夫妻、秋篠宮ご夫妻が、国民からどのように見られ、どのような思いを寄せられているのか……それを悠仁さまが肌で知る機会となったはずです」(江森さん)

 

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