「振り返ってみると、いままでの人生に無駄なことは何一つなかったと思えます」
翻訳業と不動産投資で“億女”になった星野陽子さんは、短大時代の就職活動では緊張しやすい性格もあり、なかなか内定が得られなかった。卒業間際に制御機器メーカーに採用され、輸出部に配属されたのが社会人の第一歩だ。
「自社製品の説明ができるようになるため仕様書を読むのですが、意味がわからなくて。工場に出かけ、技術者に教えてもらったりしたのですが、自分のライフワークではないことに時間を費やしている焦燥感に苛まれる日々でした」
ナポレオン・ヒルなどの自己啓発書を読みあさり、「私はできる」とつづるなど、向上心を持ち続けた。そして、女性が活躍できる職場を求めてシティバンクに転職をはたす。ディーリングなど、いわゆる花形部署ではなく窓口業務に従事したが、年収はアップ。
そんな折に顧客として来店したユダヤ人男性と出会い、交際1年で結婚しシティバンクを退社。ほどなく妊娠した。
浪費家でお金が貯まらない星野さんの実家と違い、嫁ぎ先の義父母は資産家でお金を大切にしていた。無駄なものは買わず、あるものを修理して大切に使い続ける“お金に敬意を持ち豊かに生きる哲学”を学んだ。義父母からの教えはその後の人生にも役立つことが多かったが、夫とは性格の不一致から別居を選択。次男を出産後、実質的にシングルマザーとなる。
それまでのパートでの年収は90万円程度。乳児と幼児を抱えてパートに出ることもできなくなった星野さんは特許翻訳の仕事付きの翻訳講座を受講しはじめ、翌月には3,000円の報酬をフリーランスとして初めて得る。仕事は順調に増え、年商2,000万円を突破。その売り上げが10年以上続いた。
「電気分野の特許の翻訳には、私が最初の会社で苦労して得た制御機器の知識が不可欠でした。経験しておいて無駄になることは何もないと実感したんです」
当時、寝る間もないほど大量の仕事を受けていた星野さん。「もし私が過労死したら子どもたちが路頭に迷うのでは」と感じたとき、義理の父が教えてくれた不動産投資のことを思い出す。不労所得を得るため、投資用に中古のワンルームマンションを購入する。
「働かなくても月に5万7,000円の家賃収入が入ってくるので、安心を手に入れたような感覚でした」
専業主婦だった時代は夫から受け取る10万円(家賃・水道光熱費込み)の生活費でやりくりした経験があるため、限られたお金で生活する自信はいまもあるという。
その後、法人を設立し銀行で法人口座を開設したときに、銀行員から住宅ローンを勧められ、土地を購入し、自宅として注文住宅を建てた。’08年には賃貸マンションを1棟、’10年にまた1棟を銀行の融資を使って購入。書籍をたくさん読んだり、金融の知識を教えてくれる「ファイナンシャルアカデミー」に通うなど、熱心に学び、信頼できるメンターも現れた。
「最初の1棟を購入するための融資の審査が通るまでに、2年の年月を要しました。やっとマンション1棟を手に入れられる! と喜んで、父に連帯保証人を頼んだら、驚いて翌日寝込んでしまって。その話は諦めるしかないのかと思ったのですが、メンターは次の作戦を計画。『成功者は決して諦めない』ということを教わりました」
「何事も自分でよく考えて判断しなさい」と自立心を育んだかいもあって、子どもたちは高校を卒業後、すぐに起業したり、海外で勉強をするなど、予想よりずっと早く子育てが終わったことで「一時期、空の巣症候群になりかけました」という星野さんだが、そこでいつまでも落ち込むことはなかった。
2棟のマンションのローンは家賃収入で順調に返済しており、3棟目の賃貸併用住宅では民泊を始めた。また、お金に困る人たちを減らす目的でオンラインサロン「マネサロ」を主宰するなど、新たな“ミッション”も見つけた。
「これからは、人のためだけでなく、自分のためにも、“貢献”に軸足を置いていきます」
自分を導いてくれた環境や存在への感謝。根底にあるそのマインドが、星野さんを“億女”に導いた一因であるに違いない。