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(写真・神奈川新聞社)

 

相模原市緑区の障害者施設「津久井やまゆり園」で起きた殺傷事件で、たった一人の家族である息子は首を刺され、生死の淵をさまよった。「これまでの平穏な生活を壊されてしまった」。末田清明さん(77)は心に深い傷を負い、今も悔しさを抱き続ける。あの日から26日で3カ月。障害者に向けられた憎悪に、保護者もまた悲しみを乗り越えられずにいる。

 

7月26日早朝、自宅の電話が鳴った。息子の健さん(42)が入所する園からだった。「病院に緊急搬送されました」。状況がのみ込めないまま、病院に駆け付けると、麻酔で眠った健さんがいた。首に重傷を負い、昏睡(こんすい)状態で運び込まれたのだという。

 

「障害者は不幸を作ることしかできない」-。事件前、元職員の容疑者(26)は、衆院議長宛ての手紙にこう書いた。そして、息子は価値がない存在として刃を突き立てられた。

 

約1カ月の入院生活で、健さんは食事を取るまでに回復。退院して厚木市内の施設に移ったが、清明さんの目には元気なく落ち込んでいるように見える。「あそこに入所させたのが間違いだったんじゃないか」。結果論だと分かっていても、自責の念にかられてしまう。

 

健さんは重度の知的障害があり、言葉での意思疎通はできない。幼いころから手を洗うことが大好きで、1日に何度も洗面所に立ち、蛇口から流れる水が光に反射してきらきらと輝く様子を眺めていた。

 

目を離すと勝手に外へ出ていってしまう。だが、どこにいるのか、おおよその見当はついた。「あの子はコーヒーが好きなんだ」。近所の自動販売機を一つずつ回り、健さんを見つけては自宅に連れて帰った。

 

もともとは妻と健さんの姉を含めた4人家族だった。8年前、米国留学していた姉が37歳で乳がんに倒れ、看病のために日本と米国を行き来していた妻も1年もたたないうちに肺炎で逝った。自身も糖尿病の悪化で入退院を繰り返すようになり、健さんを園に預けざるを得なくなった。

 

清明さんは家族と過ごした自宅で、1日の大半を1人で過ごす。朝晩の薬が欠かせず、台所には曜日ごとに仕分けされた1週間分の錠剤がずらりと並ぶ。普段の生活はホームヘルパーに支えられている。

 

事件後、2階の部屋を整理していた時に1冊の日記を見つけた。赤い表紙。見覚えのある字を見て、すぐに妻のものだと気付いた。2005年から3年分。1ページずつ食い入るように目を通した。

 

「健、朝7時30分ごろ発作」「健、今日は少し落ち着いている。自販機1回」「施設を見学。日帰りでお願いすることにした。きれいでとてもいい所に見えた」。息子を気に掛ける母親の愛情があふれていた。

 

清明さんは月に数回、電車とバスを乗り継いで施設を訪ねる。名前を呼んでみても、無表情で反応は乏しい。自身の体調も優れず、先を見通すことは難しい。それでも体力が続く限り面会に通うと決めている。「生きているのを確かめたい。私には息子しかいないから」