(写真・神奈川新聞社)
三浦半島にある古墳を誰が造ったのか、出土品や墓の種類から読み解いた企画展示が、横須賀市自然・人文博物館(同市深田台)で開かれている。一般的には地元の権力者が埋葬されているとされる古墳だが、通説に異論を唱え「遠方から派遣された駐在員の墓ではないか」とする担当学芸員の自説を展開している。2月5日まで。
企画展示「横須賀の古墳時代」は、同博物館で考古学を担当する稲村繁学芸員(59)が、ことし定年退職を迎えるに当たり、これまでの研究をまとめた内容となっている。
市内にある弥生時代から古墳時代の遺跡から発掘された土器や埴輪(はにわ)など約600点を展示。紀伊半島西岸で見られるカツオ漁の釣り針や、現在の愛知県や三重県など東海地方の土器が並び、「三浦半島は、人や物が行き来する海上交通の重要な中継地だった」と説明している。
その上で「寄港する船を世話するために、各出身地から派遣された集団が駐在していたと思われる」と推測。市内の古墳から、現在の埼玉県や群馬県で制作されたとみられる埴輪が出てきたことや、北部九州で見られる横穴を掘った形の古墳があることから「駐在員の出自を示す墓を造った」と自説を展開している。
「三浦半島の人々は、古墳時代でありながら墳墓を造らなかった。この現象は、畿内から遠く離れた周縁地で広く見られる」と結論付けている。
稲村学芸員は「一般的に、他の地域のものとみられる出土品は、下賜品などと解釈されているが、歴史を実際に見た人はいない。研究の発展のためにも、違う可能性があることも知ってほしい」と話している。
入場無料。問い合わせは、同博物館・電話046(824)3688。
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