(写真・神奈川新聞社)
「亡くなったことを、まだ完全に受け入れられない。今も帰ってこないか、と思ってしまう」
川崎市の多摩川河川敷で殺害された市立中学1年の男子生徒=当時(13)=の父親が、苦しい胸の内を明かした。事件の発生から、20日で2年。最愛の息子を奪われた悲しみは、時の中で凍り付いたままだ。
川下からの冷風が肌を刺す。近くの工場の外灯も届かない暗闇に包まれた河川敷。20日午前2時ごろ、父親はたった一人で現場を訪れた。事件後、何度も足を運んだ場所だが、息子が暴行を受けたとされる時間帯を初めて選んだ。
「息子が最後にいた場所。この日の、この時間に必ず来ると決めていた」
その場に集うボランティアの男性らに一礼した後、花束が手向けられた草むらをゆっくりと横切り、多摩川の水面をじっと見つめた。
男子生徒は川崎に引っ越す小学6年の7月まで、島根・隠岐諸島の西ノ島で過ごした。本土までフェリーで片道3時間近くかかる自然豊かな離島。小さな島のあちこちに、思い出がちりばめられている。
いつも釣り糸を垂れていた岸壁、真っ黒に日焼けするまで泳いでいた海水浴場…。島で漁業を続けながら、いるはずのないわが子の姿を探してしまう。
〈おとうへ さかな いつもありがとう〉
保育園を卒園する前の「父の日」。拙く、たどたどしい字で、感謝の思いをつづってくれた短冊ほどの紙片は宝物だ。今もタンスの引き出しに大切にしまってある。
最後に会ったのは、事件の約2カ月前。京急川崎駅近くの回転ずし店に連れていくと、好物のマグロとサーモンばかりを笑顔でほお張った。「悩みを見せず、親に心配をかけまいとしていたのかもしれない」。そう思わずにはいられない。
生きていれば今春、中学を卒業するはずだった。島の同級生たちは身長がぐんと伸び、高校受験の話で盛り上がる。「息子はどうだろうと考えても、その姿を想像することができない。僕の中では中学1年の時で止まったまま」。むなしさだけが胸に込み上げる。
犯行時未成年だった3人の有罪が確定しても、13歳で未来を断ち切られた無念は晴れず、怒りや憎しみが消えることはない。むしろ、時間がたつにつれて膨らむばかりだ。
今も息子の名前を口にすると、涙が止まらなくなる。「事件後、息子の夢を見たことがないんですよ」。父親は唐突に言って、こう続けた。「夢でもいい。会いたい」。茶色のハンカチを持ち、あふれる涙を何度も拭った。