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(写真・神奈川新聞社)

 

神奈川を「東京に次ぐ重点区」と位置付け、第1次公認で県内の15選挙区を埋めた希望の党。民進党からの合流を巡る公認調整がさまざまな臆測を広げる中、最終的に選ばれたのは3人にとどまった。「民進色を薄める」。希望の小池百合子代表が振りかざす「排除の論理」への批判が高まる一方、足元では民進の前原誠司代表が「選別」に加担したとの不信感も広がる。神奈川は「民進排除の象徴」になったのか-。

 

「東京や神奈川など都市部を中心に、民進出身者が公認されなかったことを考えると眠れなかった」。公認発表後、民進側の交渉役を務めた玄葉光一郎氏は、大半が民進メンバーで決まった東北地方を引き合いに苦渋の表情を浮かべた。

 

実際、解散時点で民進に所属していた県内の前職と総支部長計11人の多くが希望入りを望んだが、「排除」の壁に阻まれた。会見で希望の細野豪志氏は「排除やはじき出したということではなく、政策や理念の違い。やむを得ない」と強調したが、選定基準を巡る当事者らの懐疑心は膨らむばかりだった。

 

その象徴が、数週間前から存在が取り沙汰されていた「公認リスト」だ。多くの前職らが浮いては沈み、差し替えが繰り返される。「あいつだけは、なんとかしてやりたい」「かわいい後輩だから、対抗馬を立てないようお願いしている」…。希望結党メンバーからも聞こえてきたのは、「小池塾」塾生らを矢継ぎ早に擁立する小池氏や若狭勝氏らへのいら立ちだった。

 

2日夜、滑り込みで公認が「当確」となった3人からは「前原代表を信頼し、まったく心配してなかった」といった声がある一方、「断腸の思いで離党を決める」と涙を流す場面も。それぞれが「仲間」への配慮をにじませつつ、晴れやかな表情を見せた。

 

先に党を離れた後藤祐一氏は「最後の最後で大変な調整だった」と大詰めの攻防で複数人を救ったと振り返る。だが、公示1週間前に保守系とリベラル系、無所属に分断された野党第1党は、県内でも四分五裂に陥った。

 

後藤氏は8月上旬、前原氏に「今は言えないが(民進の)代表選後に大きなことを考えている」と打ち明けられていた。シナリオは周到に描かれていたのか-。ある民進関係者は言う。「前原代表によるリベラル焼き打ちだ」

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