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『幼い頃に生き別れた父の島袋芳則さん(左端)と55年ぶりに再会したサリー・ラッドさん(左から2人目)=4日、沖縄市のホテル』

 

 

オーストラリアのブリスベン在住のサリー・ラッドさん(55)が4日、沖縄市のホテルで、生後6週間の幼い頃に生き別れた久米島出身の父、島袋芳則さん(84)=沖縄市=と55年ぶりに再会した。ラッドさんには父親の記憶がない。フェイスブック(FB)を通じて父親を捜し当てた。再会した父の姿に「眉などが私に似ている」と話し、互いに手と手を見比べたり、見つめ合ったりして再会を喜んだ。

 

ラッドさんは「父は私に会いたくないんじゃないかと心配していたけど、間違いだった」と満面の笑みを浮かべた。島袋さんも「ずっと心に引っ掛かっていた。再会でき晴れやかな気持ちだ」と目を潤ませた。

 

島袋さんは戦後の1957年に真珠貝採取労働者としてオーストラリアに出稼ぎに渡った県民の一人。その時、ラッドさんの母、エリザベス・エリー・ボーンさんと恋仲になった。ボーンさんがラッドさんを身ごもったさなかに、雇用主だった会社が倒産。島袋さんは継続雇用を求めたが、会社は認めず、言葉が通じない場所で他の就職先も見付けられない状況に、沖縄に戻ることを決めた。「すぐに戻りたかったが、沖縄の景気も悪く再びオーストラリアに行くことはかなわなかった」と振り返った。

 

生活難からラッドさんは生後6週間で養女に出された。実母から実父について聞いたのは20代。その後自身に家族ができ、自分のルーツを知りたい思いが次第に膨らんでいった。昨年長男を亡くしたこともあって、家族のつながりを大切にしたい気持ちが一層強くなり父親を捜す決意をした。

 

父親捜しには日本人の友人が協力。島袋さんを捜すフェイスブックの投稿は多くの人たちに共有され、友人や親族らを介して再会へとつながった。

 

島袋さんは帰沖後、新たな家族を得た。「あの時の状況は非常に厳しくお互いに諦めるしかなかった。悪かったのは私。ずっと『すまない』という気持ちだった」と後悔の念を口にし、「こうして会え、何とも言えない」と声を震わせた。

 

この日、島袋さんは次男の弘さん(45)の家族と共ににラッドさんと対面。ラッドさんも息子2人を連れてきた。弘さんは「幼い頃から聞かされていた。当時は時代が時代。父も遠くの家族への思いは強かったと思う。こうして再会できたのは奇跡に近い」と話した。

 

ラッドさんは父と異母兄弟、自身の息子に囲まれ「父も再会を喜んでくれたし、沖縄の兄弟家族とも出会えて、素晴らしい気分よ」と目を細めた。(謝花史哲、高嶺朝太)

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