琉球新報での連載をまとめた「私のポジション『沖縄×アメリカ』ルーツを生きる」の発刊を記念したディスカッションイベント「『私のポジション』違いを認め合う社会とは? 6・23を前に考える」が5月28日、那覇市天久の琉球新報社であった。約20人が参加し、他者との違いを受け入れ、互いに尊重し合う社会をどう築いていくかを語り合った。イベントの様子を2回にわたって紹介する。
連載は「私のポジション 戦後70年 沖縄で」と題し、2014年12月から15年8月まで琉球新報で掲載し、中部支社報道部の東江亜季子記者(現在は経営戦略局Rプロジェクトチーム所属)が執筆した。沖縄に駐留した米軍関係者と、沖縄に暮らす女性との間に生まれた13人を取材。本にはさらに1人のエピソードを追加して出版した。イベントの前半は東江記者が進行役を務め、連載に登場した武田誠さん、タムリンソン・マリサさん、親富祖愛さんの3人が自身の経験を振り返った。(以下、敬称略)
東江 まず、「私のポジション」というタイトルに込めた思いを説明したい。沖縄とアメリカにルーツを持つ人たちを取材する中で「ハーフ」「ミックス」「ダブル」といった言葉では紹介できないと感じた。芸能界の影響などもあり「ハーフ」という言葉でひとくくりにされる風潮があるが、それぞれに違う考えを持ち、育った環境や体験もさまざま。それぞれの人生を紹介することで「ハーフ」という言葉の固定概念を崩したかった。
武田 自分は「ハーフ」を単純に身体的特徴だと思っている。世の中には太っている人、痩せている人、背の高い人、低い人もいる。それをコンプレックスに思う人もいれば長所と思う人もいる。それと同じような特徴。ただし、その身体的特徴に対して質問してくるのはデリカシーがないと感じる。例えば、自分は間違っても太っている人に初対面で「あんた太っているね」とは言わない。相手が傷つくことがわかっているから。
僕らの場合「あんたどこの国の人ね」「日本語上手だね」と言われることが多く、正直いって疲れる。だけど見た目は変えられない。「この人はデリカシーのない人だ」と対処してポジティブに開き直るしかないと思っている。この本に紹介されているように生き様はいろいろで、それぞれの「私のポジション」を世間の人に理解してもらえたら幸いかなと思う。
親富祖 私はハーフの人と触れ合うことすら怖かった。道で出会っても視線をそらすとか。相手は自分の鏡なんです。心を見られているような気持ちになってすごく嫌だった。自分はウチナーンチュだという気持ちはあっても、きちんと自己肯定できていない子ども時代を送った。
東江 アメリカと沖縄のルーツを持つ人同士で集まったときに「普段は言わないけど、実はおかしいよね」といった話題が出ることはあるか。
武田 「これは俺たちにしかわからないよね」という話が出ることはある。こんなタイミングでいじめられたとか「日本語上手だね」と言われるとか。言った本人は初めてでも、僕らは何度も言われて(嫌になっている)。仲の良いお笑い芸人のニッキーが「ハーフあるある」というネタをしている。彼にも、中にはネタとして受け入れられない人もいることは頭に入れておいた方がいいという話をよくしている。
親富祖 同じルーツの人を避けていたが、「白人のハーフ」の子が同級生にいたとき、その子に差別をされた経験がある。そこ(ハーフ同士)でも差別があるんだって驚いた。差別というより区別かな。
東江 取材の中で「慰霊の日」がキーワードに出てくる人が複数いた。子どもの頃に慰霊の日や平和教育について感じていたことを教えてほしい。
タムリンソン 小学生のときは慰霊の日が近づくと眠れなかった。学校の廊下に慰霊の日に関するパネルが掲示されて見たくなくても目に入る。低学年の頃は「アメリカに帰れ」とか「お前のお父さんが殺した」と言われると、真に受けてしまいつらかった。講演会や映画鑑賞の感想を聞かれる際、私だけ先生に名指しされ「あなたはアメリカ人としてどういう意見なの」と聞かれたこともあった。「(戦時中は)お父さんは生まれていないし殺してもいない」と思ったけど「よくわかりません」と言うのが精いっぱいだった。 中学からは生徒が自分たちで考えた劇をしたりパフォーマンスで踊ったりして、一緒に同じウチナーンチュとして考えることができて気持ちが楽だった。
親富祖 父は軍人だったが、私が4歳の頃に軍を辞めた。戦争が嫌いで軍を辞めたんだから(沖縄戦のことは)関係ないと思いながら、もし日本とアメリカが戦争をしたらどちらの味方につくんだろう、アメリカに引っ張られて行かされるのかなと感じていた。
武田 僕らが小学生の頃はまだ復帰前で、信じられないような言葉を投げつける教師もいた。
タムリンソン (武田さんら)先輩たちが我慢し、頑張った時代があるから自分たちはいま軽い気持ちで話ができる環境があるんだなと思う。