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 普天間第二幼稚園、第二小学校の上空を2機編隊で飛行する米軍のCH53Eヘリ=19日午後6時ごろ、宜野湾市立普天間第二幼稚園・小学校正門前

 

大型輸送ヘリCH53Eの窓が落下した沖縄県宜野湾市の普天間第二小学校の教諭は、事故直後の校内の様子や、児童の言葉を手記にまとめ、19日までに本紙に寄せた。「飛行停止を要求しても、何ら変わることなくヘリが上空を飛んでいる」とやるせない気持ちが文字の間からあふれ出した。

 

手記によると事故当時、何人もの教職員や児童が落下物を目撃し、危険を知らせる大声や悲鳴で校内はパニック状態になった。事故後、周辺は調査や報道など児童の言葉によると「黒い服を着たたくさんの大人たち」で日常は一変した。翌日、教諭の呼び掛けで児童、教諭も胸に抱えた思いを作文にして吐き出した。

 

「運動場はしばらく使えないけど、やっぱり学校は楽しい」「きのうはほんとうにふあんでいっぱいの一日でした」「ぼくはあんぜんで、けがのない小学校がいいです」「おうちの人がしんぱいしたので、わたしはたいせつにされているんだと思いました。わたしはせかいじゅうの人をたいせつにします」-。

 

子どもたちの言葉を抜粋し、教諭は「不安を抱え、外で遊ぶという当たり前のことを我慢しながら、子どもたちの心は傷ついている。そんな子どもたちを目の前にして、こんなにも危険な状況を一体いつ断ち切ることができるのか。いかんともしがたい思いを伝えたい」とつづった。

 

[手記全文]大声、悲鳴 校内パニック「どんな国でもおきないでほしい」

 

12月13日水曜日、重さ7・7キロもある米軍ヘリの窓が小学校の運動場に落下した。運動場では2学級が体育の授業を行っていた。直前に、ヘリの騒音に異常を感じ外に出た事務室の職員が、上空を飛ぶ米軍ヘリ3機のうち1機からの落下物を目撃。「ヘリから何かが落ちた!」と大声で通報。校長はじめ職員室にいた数名の職員で運動場へ急行。と同時に運動場にいた2学級の児童・担任も落下物を目撃し、大声で悲鳴を上げながら校舎の中へ避難。突然の出来事に我を失い、恐怖感で学校全体が一瞬パニック状態になった。しかし、すぐさま複数名で落下物を確認するなど、その後学校側がとった措置対応についての詳細は、後日行われた保護者説明会の資料に時系列でまとめられている。

 

ニュースや学校から配信されたメールで事故のことを知った保護者が、子どもの安否を確かめに次々に学校に駆け付けてきた。子どもの顔を見て安堵(あんど)し涙ぐむ姿に胸が痛んだ。その後子どもたちは迎えに来た保護者とともに、マスコミや調査に駆け付けた様々な機関の方々(子どもたちの声を借りると「黒い服を着たたくさんの大人たち」)が錯綜し混乱する状況のなか下校した。

 

落下直後の風圧で腕に打撲傷を負った児童1人以外は全員無事であった。大きな被害がなかったことに安堵する。と同時に、緑ヶ丘保育園の落下物事故と立て続けに起きたことに無性に腹が立ってきた。同保育園に弟妹がいる子もいる。

 

一夜明けて木曜日の朝、昨日同様いつもとは違う物々しい雰囲気の中、PTAや地域の団体の方々に見守られながら、様々な思いを抱え登校してくる子どもたち。教室で子どもたちを迎えると、口々にこう言ってきた。「もう体育出来ないの?運動場で遊べないの?」「カメラとマイクを持った人たちがいっぱいいた。」「ニュースで、テレビに学校のことがいっぱい出ていた。」等々。また、不安そうな表情をする子に「どうしたの?」と聞くと、「黒い服着ている人がいっぱいいて、なんかいやだ…」見慣れない大人がたくさんいる、日常と一変した状況に落ち着かない様子。「心配しなくていいよ、だいじょうぶだよ。」と声をかけた。

 

臨時職員朝会の場で「昨日はパニック状態。一夜明け、様々な思いを抱えて登校してきた子どもたちの声を作文に綴らせませんか?」と呼びかけた。賛同を得て、全学級で取り組んだ。「子どもたちにいつも書かせていた作文、今回のことは自分も書きたくなった。」と言って、すぐに自ら文章を書いた先生もいた。

 

学級の子どもたちが書いた作文から、一部抜粋してみる。「教頭先生に明日は安心して学校にきてね。と言われたから、学校に行っていいんだと思いました。みんなも来ていたからよかった。運動場はしばらく使えないけど、やっぱり学校は楽しい。」「ヘリコプター、普天間第二小学校の上を飛んだらダメです。二どとこんなことはおきてほしくないです。きのうはほんとうにふあんでいっぱいの1日でした。」「ぼくはあんぜんで、けがのない小学校がいいです。」「おうちの人がしんぱいしたので、わたしはみんなにたいせつにされているんだと思いました。わたしは、かぞくとか、お友だちとかせかいじゅうの人をたいせつにします。もうヘリコプターはとばないようにしてほしいです。どんな時もどんな国でも、こんなあぶないことはおきないようにしてほしいです。」「ぼくはこうかんじました。ぼくの学校は、こんなにきけんととなりあわせなのかと。」

 

こんなにも危険と隣り合わせの生活を送っていたのだという、この不条理な現実を目のあたりに叩きつけられ、飛行停止を要求しても、何ら変わることなく、上空をヘリがオスプレイがいつもと何ら変わることなく、まるであざ笑うかのように上空をとんでいる。見慣れた光景が、あの日、あの瞬間から、その異常さに、不条理に対する言いようのない憤りと、腹の底から湧き上がる怒り(ワジワジ〜)で、いてもたってもいられない。

 

事故後、一見今まで通り元気に過ごしているように見える子どもたち。だが、不安を抱え、外で思い切り遊ぶというごくあたりまえのことを我慢しながら学校生活を過ごしている子どもたちの心の内は傷ついている。そんな子どもたちを目の前にして、教育に携わる一人の大人として、こんなにも危険な状況を、一体いつ断ち切ることができるのかという如何ともしがたい思いを伝えたく、この一文をまとめた。(原文のまま)