(写真・神奈川新聞)

 

神奈川、静岡の両県にまたがる箱根八里を中心とした文化財群が日本遺産に認定され、江戸初期に創業した「箱根甘酒茶屋」(箱根町畑宿)もまた思いを新たにしている。今回選ばれた文化財の一つである茶屋は災禍に見舞われながらも400年の長きにわたり、味とのれんを守ってきた。店主は「100年、200年先も、おもてなしの心で旅人を迎え続けたい」と話している。

 

江戸時代の東海道の一部で、後に「天下の険」と呼ばれる箱根の山を越える道の箱根八里。茅葺(かやぶ)き屋根の茶屋は、その旧街道沿いに立つ。

 

ランプがともる薄暗い店内は土間があり、いろりの煙が漂う。写真などを基にして外観や設備を再現し、間取りは当時のまま。関所をこれから目指す人の英気を養い、関所を越えてきた人の疲れを癒やしてきた場所は、今も変わらない風情を残す。

 

13代目店主の山本聡さん(50)によると、茶屋は箱根関所が設けられたのと同じ頃に創業。甘酒も江戸時代から伝わる製法を守り、砂糖を使わず麹(こうじ)とコメのみでこしらえている。山本さんは「同じ味で旅人を迎えるために雰囲気も同じに」と話す。

 

苦しい時もあった。

 

江戸時代に大名行列など多くの旅人でにぎわった茶屋も、近代化の波にのまれていく。明治維新に入ると徐々に往来が減り、戦争で街道は廃れた。祖父母からは「1週間に1度程度しか客は来なかった」と、商売が厳しかったことを聞いている。

 

1930年に豆相地震で建物が倒壊し、73年には火災で焼け落ちた。そうした中でも店が続いたのは「旅人のおかげ」と言う。

 

坂道が続く街道を歩き、茶屋にたどり着いた客からは時代を超え、こんな言葉が寄せられてきたという。「茶屋が開いていてよかった」「坂で『もう駄目』と思っていた時、店の旗が見えてたどり着けた」。支え、支えられながらの400年だった。

 

今も年中無休。ハイカーをはじめ、車で訪れる観光客や外国人旅行者らたくさんの旅人を迎える。「坂を上って訪ねてくる人がいたから、茶屋は存在意義を与えられ、祖父母も苦しい時でも『開けなければ』と続けてこられたのだと思う」。山本さんは「100年、200年先も」との思いを強くしている。

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